今日の通読箇所:マタイによる福音書8:18~34、創世記16~17、詩編11~12
創世記16~17;
「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(15:6)」しかし、やはり何も起きずに時は流れます。時間の経過は、ときに残酷です。信じても、何も起きない。忍耐が試されます。やがて、疲れてしまいます。最初に信じ続けることができなくなってしまったのは、妻サライでした。彼女は自分の女奴隷ハガルを夫のそばめにしようと考えます。彼女がどんな思いでそう言い出したのか、私には計り知れないところがあります。やはり、神様への失望や諦め、怒りがあったのでしょうか。
結果的に、事はサライが期待したようには進みませんでした。確かにハガルは妊娠しましたが、サライと彼女はうまくやっていくことができなかった。そばめの子どもは、やはり彼女にとってはそばめの子どもでしかなかった。何よりも、神の約束を信じる余地が、そこにはもう残されていなかったのです。
しかし、神はなおもアブラムに語りかけ、アブラムとサライに起こる新しい出来事を約束なさいました。「私は全能の神である。私の前に歩み、全き者でありなさい。そうすれば、私はあなたと契約を結び、あなたを大いに増やす。(17:1-2)」こうしてアブラムとサライは神様から新しい名前を頂きました。アブラハム、そしてサラ。それでもアブラハムは神様の言葉を信じ切ることができません。何しろ75歳の時に旅立った彼は、このときすでに99歳でした。それだけの時間の流れの重みが、信じる心の柔らかさを奪ったのです。それでも、神は彼を見捨てず、御言葉を語り続けてくださる・・・。その事実が、すでに慰めに満ちています。神はこのようにして、アブラハムにも、サラにも、ハガルやイシュマエルにも伴い、心の堅さを溶かし、柔らかくし、私たちが神を信じて生きることのできるように、新しい心を創造してくださいます。アブラハムに語りかける神は、今朝、私たちにも語りかけておられます。
創世記16~17;
「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(15:6)」しかし、やはり何も起きずに時は流れます。時間の経過は、ときに残酷です。信じても、何も起きない。忍耐が試されます。やがて、疲れてしまいます。最初に信じ続けることができなくなってしまったのは、妻サライでした。彼女は自分の女奴隷ハガルを夫のそばめにしようと考えます。彼女がどんな思いでそう言い出したのか、私には計り知れないところがあります。やはり、神様への失望や諦め、怒りがあったのでしょうか。
結果的に、事はサライが期待したようには進みませんでした。確かにハガルは妊娠しましたが、サライと彼女はうまくやっていくことができなかった。そばめの子どもは、やはり彼女にとってはそばめの子どもでしかなかった。何よりも、神の約束を信じる余地が、そこにはもう残されていなかったのです。
しかし、神はなおもアブラムに語りかけ、アブラムとサライに起こる新しい出来事を約束なさいました。「私は全能の神である。私の前に歩み、全き者でありなさい。そうすれば、私はあなたと契約を結び、あなたを大いに増やす。(17:1-2)」こうしてアブラムとサライは神様から新しい名前を頂きました。アブラハム、そしてサラ。それでもアブラハムは神様の言葉を信じ切ることができません。何しろ75歳の時に旅立った彼は、このときすでに99歳でした。それだけの時間の流れの重みが、信じる心の柔らかさを奪ったのです。それでも、神は彼を見捨てず、御言葉を語り続けてくださる・・・。その事実が、すでに慰めに満ちています。神はこのようにして、アブラハムにも、サラにも、ハガルやイシュマエルにも伴い、心の堅さを溶かし、柔らかくし、私たちが神を信じて生きることのできるように、新しい心を創造してくださいます。アブラハムに語りかける神は、今朝、私たちにも語りかけておられます。