2019年2月12日火曜日

2019年2月12日(出エジプト記23〜24)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙3、出エジプト記23~24、詩編50

出エジプト記23~24;
「モーセは戻って来て、主のすべての言葉とすべての法を民に語り聞かせた。民は皆声を一つにして、『主が語られた言葉をすべて行います』と答えた。そこで、モーセは主の言葉をすべて書き記し、・・・(24:3-4)」。
ここでモーセが書き記した主の言葉というのは、おそらく、第20から23章までの、十戒に始まりその詳しい解説のような諸々の言葉のことであろうと思います。神様の言葉を聞き、またそれを記し、また読んで聞き、それに応える。それが神の民の初めのときからなされてきたことでした。私たちも聖書を読み、これに従い、キリストの声に聞いています。
そして、さらに話は進みます。「主は、モーセに言われた。『山に登り、わたしのもとに来て、そこにいなさい。私は彼らに教えるために、律法と戒めを書き記した石の板をあなたに授ける(24:12)」。この御言葉は、今回の私の発見でした。映画の十戒の印象が強かったせいか、第20章で十戒が授けられたとき、もうすでに石の板にそれが書かれていたような印象がありました。ところが、石の板の話はここに来て初めて登場しています。そして、続く第25章では、幕屋(礼拝施設)の建設に関する指示があります。その指示は、聖所のさらに奥の至聖所という特別な場所に安置する契約の箱の指示から始まります。この箱に石の板を入れます。その説明に先立って、神様ご自身がその石の板を書き、モーセらに授けるというのが、今朝の話です。礼拝を建て上げていく中心は、神様ご自身の言葉が刻まれた板だったのです。

私たちの礼拝はの中心は、神様の御言葉です。聖書とそこに記された神の言葉ご自身でいらっしゃるキリストが中心におられる。この方に聞き、従うことが私たちの礼拝です。モーセの時代から今まで何千年も続いてきた礼拝の中心は、神様の御言葉なのです。

2025年1月28日の聖句

主よ、御目の瞳のように私を守ってください。(詩編17:8) 主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。(2テサロニケ3:3) 主なる神さまはご自分の真実にかけて、私たちを強めてくださり、守ってくださいます。私たちは弱い存在です。心も体も弱い。小さくて、力...