2019年2月11日月曜日

2019年2月11日(出エジプト記21〜22)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙2、出エジプト記21~22、詩編49

出エジプト記21~22;
「あなたが彼らの前に置くべき法は次のとおりである(21:1)」と書いてあるとおり、ここから、十戒に続いて神がお与えになった法が置かれています。その最初に奴隷が自由になる規定が置かれていることが印象的です。
さらに、12節以下には死刑にあたる罪の話。「人を打って死なせた者は必ず死ななければならない(21:12)」。どのような場合に命を持って賠償しなければならないかを定めています。「命に関わるとときは、命には命を、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、やけどにはやけどを、生傷には生傷を、打ち傷には打ち傷を持って償わなければならない(21:22)」。この規定で大切なことは、私は、命には命を、目には目を、葉には歯を・・・要求してよい、それをもって償わせろとは言っていないということだと思います。命には命をもって償わなければならない。あくまでも、人を損なったその人に対する言葉です。同じものをもって償わなければならないほど、人の命は尊くて重いのだということではないかと思います。
私は、この話が奴隷解放の話題から始まっていることに、神様の深い配慮を感じます。命の尊さ、重さは、奴隷であっても同じだと神様はおっしゃっているのではないでしょうか。あるいは、22:20以下です。「寄留者を虐待してはならない。抑圧してはならない」から始まって、寡婦、孤児、貧しい者などの社会的弱者を大切にしろ、と言われています。それは「あなたがたもエジプトの地で寄留者だったから(20節)」だと言う。あなた自身がそもそも小さく、社会の中でも見捨てられ、寄る辺ない者だった。しかし、神があなたを覚え、救い、あなたの人生も命も人格も尊いものとしてくださった。だから、あなたたちも寄留者や寡婦や孤児、貧しい者を尊く、重んじてほしい。その命は自分の命をもって賠償すべき重いものだとわきまえてほしい。神様は、そのようにおっしゃっているのではないでしょうか。

2025年1月30日の聖句

主はわが力(ハバクク3:19) だから、私たちは落胆しません。私たちの外なる人が朽ちるとしても、私たちの内なる人は日々新たにされていきます。(2コリント4:16) 「私たちの外なる人」というのは、私たちの肉体のことであり、心や精神のことです。私たちが生来持っている人間としてのすべ...