2019年2月13日水曜日

2019年2月13日(出エジプト記25〜26)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙4、出エジプト記25~26、詩編51

出エジプト記25~26;
「彼らが私のために聖所を造るなら、私は彼らの中に住む(25:8)」と、神が、聖所である幕屋を造るための指示をなさいました。その指示は一番奥から始まって、次第に外側に向かっていきます。
最初は「箱」です。「アカシヤ材で箱を作らなければならない(25:10)」。その箱には神に与えられた「証しの板(25:16)」を納めます。そして、その箱の蓋は「贖いの座」と呼ばれ、純金で造られます。贖いの座の両端には一対のケルビムという天的な生き物が施されます。「あなたは贖いの座を箱の上に置き、箱の中に私が与える証しの板を納めなさい。私はそこであなたに臨み、贖いの座、すなわち証の箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために命じるすべてのことをあなたに語る(25:21~22)」。
そして、幕屋の内奥から始まり、そこに納める他のものについての指示、そして幕屋につかう幕の布の作り方の指示などが今日の箇所に書かれています。
とても丁寧に、どうやって作るのかの指示が書かれています。箱はどういうものだったのか、贖いの座は、そこにいるケルビムの姿は?興味をかき立てられます。そして、実際に作った者たちにとっては、この指示に従って作られた幕屋はどんなにか誇らしいものだったのでしょうか。
しかし、神様は注意深くおっしゃっていました。「証しの箱の上にあるケルビムの間から、・・・すべてのことをあなたに語る」と。ケルビムがどんなに勇壮であったり、箱や幕がどんなに豪華であろうと、その立派さが神の臨在を保証するわけではありません。まして、どんなに豪華であっても人間が作ったものに神が宿るのではない。神はケルビムの間にある虚空から、モーセに語りかけます。
私たちの今日一日の業を、誠実に、神様におささげしたいとねがいます。しかし、それがすばらしいから、神が私たちに恵みをくださるわけではないのです。神は、私たちの手の業が及ばない聖なる虚空から、私たちに恵みを下さいます。ただ感謝をもって、神を見上げます。

2025年1月27日の聖句

私たちの救いである神よ、その驚くべき義しさによって、私たちの声に耳を傾けてください。(詩編65:6) 何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。(1ヨハネ5:14) 神さまは私たちの声に耳を傾けてください...