2019年2月3日日曜日

2019年2月3日(出エジプト記5〜6)

今日の通読箇所:マタイによる福音書25:31〜46、出エジプト記5〜6、詩編39

出エジプト記5〜6;
神様に命じられたとおり、モーセとアロンはファラオの下へ行って言います。「イスラエルの神、主はこう言われる。『私の民をさらせ、私のために荒れ野で祭りを行わせなさい』(5:1)」。しかし、これに対し、ファラオは言います。「主とは何者か。私がその声に聞き従い、イスラエルを去らせなければならないとは。私は主を知らないし、イスラエルを去らせはしない。(2節)」要するに、主という神はどこの馬の骨か、ということです。
この反応は、イスラエルの人々も、大して変わりません。モーセの説得にかえって反発したファラオは、イスラエル人の苦役を重くします。すると、人々はモーセに苦情を訴えます。「主があなた方をご覧になって裁かれますように。あなたがたはファラオやその家臣に私たちの立場を悪くするように仕向け、私たちを殺す剣を彼らの手に渡してしまったのです(21節)」。彼らは主なる神様は知り、信じていましたが、モーセのせいで立場が悪くなったことに怒り、モーセはどこの馬の骨かと怒ったのです
私たちが神様を信じてしたことで、却って事態が悪くなってしまうことは、ままあります。その恨みは神様に向けられたり、私たち自身に向けられたりします。そういうときに、私たちは、神様の名をかたって勝手に自分がしたのではないか、自分の勝手な思い込みなのではないかと反省することは大切です。しかし、主イエス・キリストがしてくださったように隣人を愛し、自分の十字架を負うための労苦を恐れてはならないこともまた真実です。どこの馬の骨とも分からない私たちですが、この方こそまことの神、私たちを救ってくださるキリストの父。その確信は決して失わずに、キリストが示してくださった愛の道を進みたい。そう願います。

2024年12月22日の聖句

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