2019年2月4日月曜日

2019年2月4日(出エジプト記7〜8)

今日の通読箇所:マタイによる福音書26:1-30、出エジプト記7-8、詩編40

出エジプト記7-8;
主なる神様の手によって、エジプトに10の災いがもたらされます。今朝の箇所には四つ登場しました。災いが起きるたびに、結局ファラオが心をかたくなにして、モーセの言うことを聞き入れなかったと繰り返されています。しかも、それが神様の働きなのだと言っています。「私はファラオの心をかたくなにするので、私がしるしと奇跡をエジプトの地で重ねても、ファラオはあなたがたの言うことを聞かない(7:3)」。ちょっと、ショックな言葉です。モーセやヘブライ人たちにしてみれば、すぐにファラオが聞き入れてくれて、気持ちよく送り出してくれたらどんなにいいでしょう。私たちも、似たようなことを経験しないでしょうか。どうして、神様はそのようなことをなさるのでしょう
「私がエジプトの上に手を伸ばし、イスラエルの人々を彼らの中から導き出したとき、エジプト人は私が主であることを知るようになる(15:5)」。モーセやヘブライ人たちから見て、ことがうまくいかず、相手の心がかたくなで、説得に耳を傾けてくれないとき、実はそれは私たちを救うための神様の御業の中に置かれており、しかもそれによって神様の御名が明らかになるプロセスなのです。「エジプト人は私が主であることを知るようになる。」最初、ファラオは言いました。「主とは何者か」と。この「主」は神様のお名前を表す言葉です。主とは何者か、どこの馬の骨か、どうして私が従わねばならないのか。それは、ファラオだけではなく、私たちのつぶやきです。どうして聖書が言うような愛に、柔和に生きなければならないのか?イエスとは、私の人生にとって何者か?どれほどのものか?そんな不遜な私たちにご自分の尊いお名前を教え、神様の御許に連れ戻すために、神様は働いてくださっているのです。
今日一日、神様のお名前による祝福が、豊かにあなたにありますように。

2024年12月22日の聖句

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