2019年2月5日火曜日

2019年2月5日(出エジプト記9〜11)

今日の通読箇所:マタイによる福音書26:31-46、出エジプト記9-11、詩編41

出エジプト記9-11;
主なる神様がエジプトに下された10の災いのうちの最初の九つは、三つ一組になっています。①血の災い、蛙の災い、ぶよの災い。②あぶの災い、疫病の災い、腫れ物の災い。③雹の災い、ばったの災い、暗闇の災い。そして、最後の初子の災いは、最初の九つとは少し区別される、最後の決定的なものとして位置づけられているようです。
それぞれの冒頭に同じモチーフが繰り返されています。「明日の朝、ファラオのところに行きなさい(7:15)」。「朝早く起き、ファラオの前に進み出なさい(8:16)」。「朝早く起き、ファラオの前に進み出て言いなさい(9:13)」。朝、ファラオのところへ行くということが三度繰り返されています。
ただ、漫然と三回一組を繰り返すのではなく、少しずつ話が進展していきます。特に②からです。「私は、この民をあなたの民と区別して贖う(8:19)」「主は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜を区別する(9:4)」「雹はまた、野のすべての草を打ち、野のすべての木を砕いた。ただし、イスラエルの人々がいるゴシェンの地には、雹は降らなかった(9:26)」などです。これらの災いの一つのテーマは、区別です。エジプト人とヘブライ人が神様に区別されている。ヘブライ人だけひいきされているのです。10番目の初子の災いではなおはっきりします。「こうして、あなたがたは主がエジプト人とイスラエル人を区別されることを知るであろう(11:7)」。
神様が人間を区別し、ひいきするなんて、およそ神様らしくない振る舞いのように感じてしまいます。しかし、聖書の神様は、驚くべきことに、そうなさるのです。私たちが心に留めたいのは、ここでひいきされ、特別に愛されているのは、エジプトの国で追い使われ、虐げられていた者たちだった、ということです。神様は孤児や寡婦、貧しい者、病人を特に心にかけ、ひいきしてでも愛される方。それは、主イエスの歩みを思えば、よく分かること・・・。このような神様のお姿は、私たちへの一つの問いなのではないでしょうか。

2024年12月22日の聖句

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