パウロは、とても大胆に自分のことを語る人だと思います。説教をする時に自分のことを語ってはならないと言う人もあります。しかし、パウロは明らかにそうではありません。自分の、経済的な生活の話までしています。その大胆さは、手紙を読む者を驚かせるほどです。私が学生の頃、牧師・伝道者として生きるか否かと悩んでいた頃のことです。旧約聖書を読むと、奴隷として使われていたエジプトから脱出したイスラエルの人々が、神様によってカナンの地へ40年もの旅をする場面が描かれます。カナンに入る前に、部族ごとに土地が分けられました。ユダ族はここ、エフライム族はここ、と12に分けられます。ところが、イスラエルの部族の中でレビ族にだけは所有地が与えられませんでした。レビ族は祭司であり、土地の割り当てがありませんでした。それでどうやって生きたのかといえば、神殿での礼拝で献げられたものの余り物を食べて生活したのです。レビ族は神を信じて生きるとはどういうことかを表すしるしです。私はとても厳粛な思いになりました。
パウロはコリント教会にいる反パウロ派から厳しい批判を浴びていたようです。彼の食事、結婚生活、仕事やお金のことについて批判していた。それに対して特にお金のことについての長い弁明を書いています。パウロのような伝道者は、特にギリシア世界ではよく知られていた哲学者や弁論かと比べられたようです。彼らはどうやって生活の資を得たのか?ある人はなにがしかの話をして、聞いた人からお金をもらいました。あるいは裕福なパトロンがいて、その子息の家庭教師もしながら暮らしている者もいました。中には物乞いをした人もいたそうです。パウロは自分で仕事をする道を選びました。そのことをコリント教会のある者たちは批判したのです。パウロは自分の話に自信がなくて聞いた人にお金を求める勇気がないのだとか、訥弁にすぎないからパトロンが見つからないのだとか。ましてパウロはそもそもエルサレム教会からの推薦状を持ってきたわけでもなし。一体どこの馬の骨だ…と。パウロには分かりやすくて皆が納得できる保証が一つもなかったのです。この人ならば信頼に足ると誰もが思えるようなものが、なにも。
これに対し、パウロは言います。「わたしとバルナバには、生活の資を得るために仕事をしなくてもよいという権利がないのですか。」自費で戦争に行く人も、ブドウ畑を作ったのに実りを食べない人もいない。聖書にも「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と書いてある。自分には教会に生活を支えてもらう権利があると言います。しかし、パウロはこの権利を用いなかった。キリストの福音の妨げにならないように。パウロの基準は、ここにあるのです。キリストの福音を一人でも多くの人に伝えるための最善を求めます。それは、彼が使徒であることに徹したということだと思います。使徒として、自分は強いられてゆだねられた務めを負っていると言います。自発的に、好きだからやっているのではない。「キリストの愛がわたしたちに強く迫っている(二コリ5:14)」からそうせずにはいられないのです。奴隷は他人の評価を気にしません。主人のことだけを考えています。パウロは使徒、キリストの奴隷でした。彼の姿は、神を信じて生きるということの生きたしるしです。だから神の恵みにだけ生かされている者として大胆に自分を語れたのです。