2019年2月24日日曜日

2019年2月24日(レビ記7〜8)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙12、レビ記7~8、詩編64

レビ記7~8;
アロンと他のレビの子孫である妻子たちとの任職式が行われました。「主はモーセに告げられた。『アロンと彼と共にいるその子らを伴い、祭服と注ぎの油、清めのいけにえにする雄牛一頭と雄羊二匹、それに種なしパンを入れた籠を取りそろえて、会見の幕屋の入り口に全会衆を集めよ』(8:1-3)」。この章を読むと、祭司に任じるにあたり、とても長い礼拝が献げられた、ということです。つまり、第7章までのささげ物に関する長い規定が最初に適用されたのが、他ならぬアロンたち祭司の任職式のときだった、ということになります。
この礼拝には、二つの意味があったのではないかと思います。一つには、モーセは「注ぎの油をアロンの頭に注いで聖別(12節)」しました。祭司たちを神様のものとした、ということです。そのしるしとして、彼らの頭に油を注ぎます。もう一つの意味は、「彼は清めのいけにえにする雄牛を引いて来た。アロンとその子らは清めのいけにえにするその雄牛の頭に両手を置いた(14節)」。これは、1:4によると、そのいけにえの雄牛を彼の身代わりとし、贖いとするための所作です。つまり、この任職式の第二の意味は、祭司自身の罪の贖いのための礼拝であった、ということです。
ここで思い起こすのは、主イエス・キリストのことです。この方について、ヘブライ人への手紙でこのように言われています。「この方は、大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。ご自身を献げることによって、ただ一度でこれを成し遂げられたからです(ヘブライ7:27)」。キリストが私たちのためのまことの祭司でいてくださいます。完全に神のものであり、ご自分のための罪の贖いをする必要のないお方が。キリストは、ご自身を犠牲にすることによって、私たちをも神のものとし、私たちの罪を完全に赦してくださいました。このキリストという唯一無二の祭司にあって、私たちはキリスト者とされたのです。この永遠の祝福が、今日も、あなたに向けられています。

2024年12月22日の聖句

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