2019年3月10日日曜日

2019年3月10日(民数記8〜9)

今日の通読箇所:ヘブライ人への手紙10:1~18、民数記8~9、詩編81~82

民数記8~9;
「彼らがエジプトの地を出て二年目の第一の月、主はシナイの荒れ野でモーセに告げられた。『イスラエルの人々は、定められたときに過越祭を祝いなさい』(9:1~2)」。あれから一年たちました。エジプトの地、奴隷の家から、神様の大いなる御業によって導き出されたあの日から。神が救い、ご自分の民としてくださったあの日から、一年がたちました。イスラエルの人々は、荒れ野で初めての過越祭を祝いました。家族の死などの事情があってその日に過越祭に参加できない物も含めて、皆が神様のしてくださった大いなる救いの御業を覚えて、神を礼拝し、祝ったのです。
こうして、兵役に就くことのできる男子だけで約60万人もいたイスラエルの人々の真ん中に、神を礼拝するための幕屋が建てられました。「幕屋を建てた日、証しの天幕である幕屋を雲が覆った。それは夕方になると幕屋を包む火のように見え、朝まで続いた。・・・雲が天幕から離れて昇ると、それと共にイスラエルの人々は進み、雲が一つの場所にとどまると、イスラエルの人々はそこに宿営した(16,18節)」。この雲に導かれて、彼らの旅は始まります。
救いの出来事を記念する過越祭から、イスラエルの荒れ野の旅は始まりました。礼拝するための幕屋を整えたとき、彼らを導く雲に包まれました。神の民の歩みを導くのは、神への礼拝であり、私たちが礼拝することを喜んでくださる神様ご自身なのです。私たちの一週間も、礼拝から始まります。私たちは、神の民である私たち教会を導いてくださる雲の柱、神様の御言葉によって行きもし、止まりもします。私たちが礼拝のたびに想起するのは、神のすばらしい救いの御業、すなわちイエス・キリストです。私たちはキリストの十字架を羅針盤としてこの世を旅する、神の民なのです。

2024年12月25日の聖句

私はあなたがたを私の民とし、私はあなたがたの神となる。(出エジプト記6:7) 私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどれほどの愛を私たちにお与えくださったか、考えてみなさい。事実、私たちは神の子どもなのです。(1ヨハネ3:1) クリスマス、おめでとうございます。 主なる神さま...