2019年3月27日水曜日

2019年3月27日(申命記4)

今日の通読箇所:マルコによる福音書7:1~23、申命記4、詩編103

申命記4;
これから約束の地に入っていく神の民のためのモーセの説教です。「もしあなたが子や孫をもうけ、その地で年を取り、堕落してあらゆる形の彫像を造り、あなたの神、主の目に悪とされることを行い、主を怒らせるならば・・・あなたがたはヨルダン川を渡っていって所有する地から取り去られ、たちまち滅び去る。・・・主は、あなたがたをもろもろの民の中に散らされる。しかし、主が追いやる先の国々で僅かなものは残される。あなたがたはそこで、人の手で造られた神々に仕えなければならない。それは木と石でできていて、見ることも、聞くことも、食べることも、嗅ぐこともできない(25~28節抜粋)」。
神ならぬものを神とする者への神の裁きは、その人がますます人の手で造った神ならぬものを神としてしまうことだと言うのです。偶像の問題の急所、目に見える神々の本当の問題は、それが人間の願望の投影に過ぎない、と言うことです。ですから神ならぬものを神としてしまうというのは、人間がその欲望の奴隷になってしまうと言ってもよいのではないかと思います。私たちが自分の欲望の奴隷になること、それが神の裁きだというのです。恐ろしい裁きです。
しかし、説教は続きます。「しかし、その場所から、あなたの神、主を探し求め、心を尽くし、魂を尽くして主を求めるならば、あなたは主を見出すことができる。これらすべてのことがあなたに臨んであなたは苦悩に満ちるが、終わりの日には、あなたは、あなたの神、主のもとに立ち返り、、その声に耳を傾けるだろう。あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも、あなたを滅ぼすことも、先祖に誓われた契約を忘れることもないからである(29~31節)」。
私たちを、つきない私たちの欲望から自由にしてくださるのは、ただただ神様の憐れみだけです。神を呼び求める私たちの呻きを、主は耳を傾けて危機、主イエスの故に約束してくださった救いを、私たちのために必ず実現してくださるのです。

2024年12月26日の聖句

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