2019年3月26日火曜日

2019年3月26日(申命記2〜3)

今日の通読箇所:マルコによる福音書6:30~56、申命記2~3、詩編102

申命記2~3;
荒れ野での四十年の旅の途上で、神様が与えてくださった地と与えてはくださらなかった地がありました。例えばエサウの子孫の領土について、「彼らと戦ってはならない。私は、彼らの土地を、足の裏で踏むほどにもあなたがたに与えることはない(2:5)」と言われています。しかし、例えばアモリ人の地については「占領を開始せよ(2:24)」と言います。誰に対してどのように振る舞うのか、どこの土地を占領するのか、そういうことを一つひとつ、神様の言葉に耳を傾けて判断をした旅路でした。
そして、いよいよこれからヨルダン川を渡って「主が与える土地を所有するように(3:20)」なるときが来たのです。その時を迎えるモーセの祈りが、今朝の聖書の御言葉の中に残されています。「どうか私を渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの美しい地、美しい山、レバノン山を見せてください。」しかし主は、その願いを聞き入れてはくださいませんでした。「もう十分だ。このことを二度と語ってはならない。ピスガの頂に登り、西に、北に、南に、東に目を向けなさい。あなたは、ヨルダン川を渡ることができない以上、自分の目に焼き付けておきなさい。ヨシュアに命じ、彼を強め、励ましなさい。彼こそが、この民の先に立って渡って行き、あなたの目にしている地をこの民に受け継がせるのである(26~28節)」。これから、神の言葉に従ってそのたびを続ける民は、ヨシュアに託されます。モーセは遙かにその地を臨むことを許されただけで、実際にそこに入ることは適いませんでした。神の民の歩みは、世代を超えて、続いていきます。人間は有限です。終わりが来る。しかし、次の世代に残るものがある。それは、神ご自身の約束と、神の言葉に従う信仰です。私たちも今そのバトンを託されています。

2024年12月26日の聖句

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