今日の通読箇所:使徒言行録1、ヨシュア記6~7、詩編119:113~128
ヨシュア記6~7;
アカンは、罪を犯してしまいました。エリコとの戦いに、主の不思議な導きによって大勝利を収めたイスラエル。高い城壁は、主の御言葉に従って城壁の周りを七日間かけてぐるぐる回り、最後の日に皆で鬨の声を上げたときに崩れ去ってしまった。本当に不思議な、そして力強い神様の道からを経験したのです。その町との戦いで奪ったぶんどりものは、すべて神様の取り分として、滅ぼし尽くすようにと命じられていました。イスラエルの人たちは皆それに忠実に従いました。「こうして、町とその中にあるすべてのものは火で焼き払われた(6:24)」。
ところが、アカンはその点で不忠実でした。彼の犯したことが発覚し、彼は告白します。「戦利品の中に、美しいシンアルの外套が一着、銀二百シェケル、重さ五十シェケルの金の延べ棒が一本あるのを見て、私はそれらが欲しくなって取りました(7:21)」。アカンを襲ったこの貪欲の誘惑。このような思いから自由な人が、一体どこかにいるのでしょうか?
エリコは、本当に不思議な神様の御力によって勝利を収めた戦いです。神様の御業を目撃していても、なお貪欲の罪から自由になることができない。そういう私たちの性根が、この一人の人を通して現れているのだと思います。
「我らを試みにあわせず、悪より救いいだし給え」。主は、この祈りを私たちに教えてくださいました。私たちにとって、本当に切実に必要な祈りです。主イエス・キリストの御前にふさわしくない私。主よ、救ってください。主よ、憐れんでください。主の御前に、今日も新しい思いで主の祈りを祈りたい。そう願います。
2025年12月17日の聖句
災いあれ、悪を善と言い、善を悪と言う者には。 彼らは、闇を光とし、光を闇とする。(イザヤ5:20) 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマ12:21) 「悪を善と言い、善を悪と言う」とありますが、現代社会でごく一般的に起きていることのように思います。善悪の基準が非...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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