2019年4月30日火曜日

2019年4月30日(ヨシュア記18)

今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記18、詩編124~125

ヨシュア記18;
「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのをいつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つの部族には所有地が割り当てられましたが、まだそれを得ていない七つの部族が残されていました。ヨシュアは彼らに向かって、いつまでためらっているのか、と問います。
もうすでに神が与えてくださった。そう信じて、足の裏でその地を踏みしめるために進んでいくべき地は目の前に広がっている。後は、信じて進んでいくだけです。この期に及んで、もうためらうべきではないのです。
今朝私たちに与えられている詩編は第125編でした。「主に信頼する人はシオンの山のように、揺らぐことなく、とこしえにとどまる。」ここでもやはり主への信頼を主題としています。主に信頼して一歩踏み出すことができる人は、山のように揺らぐことなくとどまることもできます。その急所は、主なる神様への信頼です。
私たちの生きている国は、今、揺れ動いていると思います。代替わりと改元フィーバーとでも言えばいいのでしょうか。世相が慌ただしく揺らいでいる。不安感が満ちていますが、それを覆い隠すようなお祭り騒ぎになっています。天皇を基とする時代区分は、私たちには何の意味も持ちません。それははっきりしています。私たちは明日からも同じ時代を生きます。私たちは「主の年(西暦を意味するA.D.はラテン語で「主の年」という意味)」を生きていきます。私たちは、主イエスが支配する天の国に国籍を持ちます。だから、この世界がどんなに揺れ動いても主を信頼し、揺れ動くことがありません。そして、主を信頼するから、恐れずに新しい一歩を踏み出します。ためらうことなく!

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...