今日の通読箇所:ヨハネによる福音書11:1~16、申命記19~20、詩編112
申命記19~20;
「あなたが敵に向かって出陣するとき、馬や戦車、また自分よりも数の多い軍勢を見て、恐れてはならない。エジプトの地からあなたを導き上ったあなたの神、主が共におられる(20:1)」。
もしも私たちの国が戦争をするとき、この御言葉をそのまま持ってきてそれを正当化することに、私たちは慎重であるべきです。私たちは、主イエスが示してくださった神の愛に生きているからです。ただだからといって旧約聖書の言葉が無効になっている、ということではありません。今朝の御言葉は、信仰生活の戦いのメタファーとして読むことができるのではないかと思います。
主が共におられる。大きな慰めです。しかしその本来意味することは「だから恐れるな」、ということだと今朝の御言葉には記されています。私たちは神が共にいて戦っていてくださることを信じるから、臆病になることなく、勇気を持って生きる。それが神が共にいてくださるという信仰です。
私が母教会の高座教会で大変お世話になったある長老さんは、横浜市の中学校の国語の先生をしておられました。教師生活の終わりが見えてきた頃に、ご自分で志願して、市内でもかなり荒れた学校へ赴任しました。ずいぶんと怖かったそうです。毎朝、学校へ通勤する足取りは重い。しかしその道すがら、主の祈りを唱えながら歩いたと言います。主が共にいてくださる。その圧倒的な事実が、恐れからこの方を解放してくださった。そこでの戦いは、中学生との戦いではありません。恐れとの戦いであり、主なる神様は私の今日一日など気に掛けておられないのではないかという疑いとの戦いです。しかし、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈ることを教えた方は、私たちの毎日の営みに並々ならぬ思いを向けていてくださいます。今日、私たちとも、主イエス様は共にいてくださいます。
申命記19~20;
「あなたが敵に向かって出陣するとき、馬や戦車、また自分よりも数の多い軍勢を見て、恐れてはならない。エジプトの地からあなたを導き上ったあなたの神、主が共におられる(20:1)」。
もしも私たちの国が戦争をするとき、この御言葉をそのまま持ってきてそれを正当化することに、私たちは慎重であるべきです。私たちは、主イエスが示してくださった神の愛に生きているからです。ただだからといって旧約聖書の言葉が無効になっている、ということではありません。今朝の御言葉は、信仰生活の戦いのメタファーとして読むことができるのではないかと思います。
主が共におられる。大きな慰めです。しかしその本来意味することは「だから恐れるな」、ということだと今朝の御言葉には記されています。私たちは神が共にいて戦っていてくださることを信じるから、臆病になることなく、勇気を持って生きる。それが神が共にいてくださるという信仰です。
私が母教会の高座教会で大変お世話になったある長老さんは、横浜市の中学校の国語の先生をしておられました。教師生活の終わりが見えてきた頃に、ご自分で志願して、市内でもかなり荒れた学校へ赴任しました。ずいぶんと怖かったそうです。毎朝、学校へ通勤する足取りは重い。しかしその道すがら、主の祈りを唱えながら歩いたと言います。主が共にいてくださる。その圧倒的な事実が、恐れからこの方を解放してくださった。そこでの戦いは、中学生との戦いではありません。恐れとの戦いであり、主なる神様は私の今日一日など気に掛けておられないのではないかという疑いとの戦いです。しかし、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈ることを教えた方は、私たちの毎日の営みに並々ならぬ思いを向けていてくださいます。今日、私たちとも、主イエス様は共にいてくださいます。