2019年4月5日金曜日

2019年4月5日(申命記21〜22)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書11:17~44、申命記21~22、詩編113~114

申命記21~22;
21:18~21は、放蕩にふける息子を告発することについてです。そのような事実がある場合、町の門の長老たちのところへ連れて行きます。町の門は、当時の裁判所のような場所でした。父は息子についてこのように言います。「私たちの息子は、かたくなで反抗し、私たちの言うことを聞かず、放蕩にふけり、大酒飲みです」。私たちがこれを読むと、やはり、主イエスがしてくださった放蕩息子のたとえ話を思います。この告発は、そのまま弟息子の行動そのものです。申命記ではこのような放蕩者は石打にするようにと言われています。しかしあの憐れみ深い父は、彼を赦し、走り寄って迎え入れました
さらに続くのが22から23節。死刑に処された者は木に掛けるように、と。ただ「あなたはその死体を夜通し、木に残しておいてはならない。必ずその日のうちに葬らなければならない。木に掛けられた者は、神に呪われた者だからである。あなたは、あなたの神、主があなたに相続地として与える土地を汚してはならない」。残酷だからというのではありません。そのまま夜を越せば地が汚れてしまうほど、木に掛けられた死体は汚れているからです。
やはり、この御言葉は、十字架と無関係に読むことはできない。主イエスは、私たちのために呪いとなってくださったのです。キリストは呪われた。それは、神を捨てて浮世の楽しみに身をやつす私たちが受けるべき石つぶてを、この方が引き受けてくださったということに他ならない。私たちが受けるべきべき呪いから救ってくださったのは、この方なのです。

2025年11月3日の聖句

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