2019年5月3日金曜日

2019年5月3日(ヨシュア記22)

今日の通読箇所:ルカによる福音書8:40~56、ヨシュア記22、詩編130~131

ヨシュア記22;
ヨルダン川西岸での戦いを終えて、ガド、ルベン、マナセの半数がヨルダン川東岸の自分たちの領地に帰っていきます。彼らは先に東岸で自分たちの割り当てを得ていましたが、他の仲間たちを見捨てずに、共に最後まで戦って、義務を果たして自分たちの地へ帰って行ったのです。
ところが、ここで事件が起きました。彼らがヨルダン川沿いのゲリロトという場所に自分たちの祭壇を造ったらしい。これは申命記第12章などでも明確に禁じられている、重大な違反でした。「あなたは自分のよいと思う場所で、焼き尽くすいけにえを献げないように気をつけなさい。ただ、主があなたの一つの部族の中に選ばれる場所で、焼き尽くすいけにえを献げ、私が命じることをすべて行いなさい(申12:13,14)」。
そこで、西岸に住む諸部族はすぐにそこへ行って、彼らのしたことを問い詰めます。あなたたちがしていることは、私たちの親たちが荒れ野でしてきた過ちを繰り返しているようなものだ、と。
これに対して東岸組は、これはいけにえを献げるための祭壇ではない、と言います。自分たちの孫子の世代になったとき、ヨルダン川東岸という遠い場所にいる自分たちが忘れ去られ、イスラエルの中でのけ者にされてしまうかもしれない。そうならたないための記念碑として、孫子に語り伝えるためのレプリカだ、と言うのです。「焼き尽くすいけにえを献げるためでなく、会食のいけにえを献げるためでもありません。私たちとあなたがたとの間の証拠なのです(28節)」。
これを読んで、私は、イスラエルの結び目は、ただ同じ神を信じていると言うことだけなのだと改めて思いました。そこが蔑ろになってしまったら、絆は消え、お互いの主張がぶつかり合うしかなくなってしまいます。神を信じ、神が下さったものを感謝して受け、神にしたがっていく。お互いにそれを求めた結果が、今回の出来事だったのでしょう。教会でも、やはり同じだと思います。私たちの結び目も、ただ神を信じていると言うことだけです。だからお互いの立場からそのことを大切にして行くべき道を定めていく。時には互いにそれがぶつかり合って話し合いも必要になります。しかし、神に従うという点でお互いを信頼し合えれば、大丈夫です。神を信じ、相手を信頼する。そんな結び目が、私たちにも与えられています。

2026年5月18日の聖句

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