今日の通読箇所:使徒言行録11、列王記上2、ヨブ記29
列王記上2;
「こうして王国は、ソロモンの手によって確かなものとされた(46節)」と言われているとおり、ダビデ王朝の二代目であるソロモン王がその治世を盤石なものとするプロセスが今日の箇所です。
まず、ダビデがついに最期を迎えたとき、ソロモンに最後の勧告をします。「私は、この世のすべての者がたどる道を行こうとしている。だが、あなたは強く、雄々しくありなさい。あなたの神、主への務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおりに、主の掟と戒め、法と定めを守りなさい。そうすれば、何をしても、どこに行っても成功するだろう(2~3節)」。ヨシュアへの最初の励ましと同じ言葉です。右にも曲がらず、左にもそれず、ただ主の道を強く、雄々しく歩め、と言われます。ダビデはもう死にます。いつまでも次の世代を見守ることはできません。前例をたどるだけでは、難しい局面を打開することはできません。次の世代にダビデが言い残すべきことは、ただ一つでした。主に従え、その御言葉に従え。ただそれだけを、ソロモンは引き継いだのです。
具体的にソロモンが王権を確立するために、反乱の芽となる者たちを粛清しました。兄アドニヤ、祭司エブヤタル、将軍ヨアブ、シムイ。父の時代からの有力者であり、あるいはアドニヤの反乱に手を貸した者たちです。現代日本に生きる私たちの価値観からすると、随分と残酷なようにも映ります。反乱者をどう処遇するか、それは時代の制約を受ける事柄ですから、現代的な評価を下すよりもこれはこれとして受け止めておくのがよいと思います。
しかしその中でも、祭司エブヤタルを蟄居させたことについて、聖書は「こうして、主がシロでエリの家について告げられたことが実現した(27節)」と評価していることは注目すべきです。神の言葉が実現する。それが、申命記から始まって、ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記、列王記と続いて一貫してきた歴史観です。
この神の言葉は、ダビデが聞き従い、ソロモンにもそのように生きよと諭した言葉です。私たちも、ダビデと同じ神を信じ、同じ神の言葉に聞き従って、毎日のこの朝の祈りを捧げているのです。