今日の通読箇所:使徒言行録12、列王記上3~4、ヨブ記30
列王記上3~4;
「ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に従って歩んだ(3:2)」。ソロモンは、父が歩んだ道を進みました。主への愛に生き、主とその御言葉に従って生きました。そんなソロモンに主なる神様が夢の中で現れます。「願い事があれば、言いなさい。かなえてあげよう(5節)」と。ソロモンは、自分のための長寿や富、敵の命を願うのではなく、知恵に満ちた聡明な心を求めました。神様はこの願いを喜ばれました。
そうは言っても、もしも自分のために知恵を求めたのなら、神様はその願いをお喜びにはならなかったと思います。ソロモンは言ったのです。「私は未熟な若者で、どのように振る舞えばよいのか分かりません。僕はあなたがお選びになった民の中の一人ですが、民は多く、その多さのゆえに数えることも調べることもできません。どうか、この僕に聞き分ける心を与え、あなたの民を治め、善と悪をわきまえることができるようにしてください。そうでなければ、誰がこの数多くのあなたの民を治めることができるでしょうか(7~9節)」。ソロモンは自分のためではなく、神に与えられた使命を全うし、預けられた民への責任を果たすために必要な知恵を求めたのです。
神様は、私たちにもそれぞれの人生の持ち場を預けてくださっています。その責任を果たすために「どのように振る舞えばよいのか分かりません」というのは、私たち自身の祈りです。しかし神様は、ソロモンに対してそうであったように、私たちにも、その責務のために必要な知恵や力を授けてくださいます。もしも私たちが自分のためではなく、神と隣人とのためにそれを求めるならば。そして、私たちがもしもその責任の一端でも果たすことができたとしたら、それは神が下さった賜物によって仕えることが許された、と言うことではないでしょうか。神様は、私たちに、それぞれの「場」を与えてくださっています。ここに生きるために必要なものをすべて与えることのできる方に、私たちは今日祈りつつ、一日の歩みを初めていきましょう。