今日の通読箇所:使徒言行録13:31~52、列王記上7、ヨブ記32
列王記上7;
ソロモンは王宮も建築しました。神殿は7年でしたが、王宮は13年かけて造った。その年数を比較すると、結局王宮の方が手をかけているように見えます。しかし、聖書の書き方は、サイズが大きくて年月もかかった王宮建築については僅かにしか書かれておらず、記述のメインは明らかに神殿建築です。彼が神殿を建てたのは、「主は約束されたとおり、ソロモンに知恵を授けられ(5:26)」たというその知恵を用いてのことです。そして建てられたときの「私はイスラエルの人々のうちに住み、わが民イスラエルを見捨てたりはしない(6:13)」という主の約束。少なくともこの時期、彼は御言葉の中に生きていたのです。
さて、王宮の話を簡単に済ませて、すぐに神殿の話に戻ります。ティルス人のヒラムという人が細工師として呼ばれました。ティルスの王と同じ名前ですが、別人と思われます。彼は母はナフタリ族の人でしたが、父はティルス人でした。つまり、友好国とはいえ父はイスラエル人ではなかったのです。その人が神殿で使う祭具を造ったというのは、示唆に富んだ事実です。
確かに、イスラエル人、ユダヤ人の子孫であることは、大きなことです。「ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。それは、あらゆる点でたくさんあります(ローマ3:1,2)」。神様は、具体的な一つの民を選んで、実際の歴史の中でご自分のものとなさいました。しかし、ある特定の血統になければ排除される、という信仰を私たちは生きていません。「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく・・・(ローマ2:28)」。神の約束に生きるものは、誰であっても神の民です。ティルスの人も、礼拝のための大切な奉仕をします。私たちも、同じように神様の御前、礼拝へと招かれています。
ですから、どのような民族なのかとかいかなる血統に生まれたのかということにこだわりすぎることは、私たちの信仰とは相容れません。確かに私たちはある歴史を背負った具体的な国民の一人ですが、その私を神が召して、天の国の国民にしてくださいました。それは、私たちが礼拝に仕えるためです。神の御前で仕えるためです。神は、私たちをすばらしく広い場所へと招いてくださっています。
2024年3月29日の聖句
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