2019年6月21日金曜日

2019年6月21日(列王記上8)

今日の通読箇所:使徒言行録14、列王記上8、ヨブ記33

列王記上8;
ソロモンによる神殿奉献の祈りです。ソロモンは「あなたのために荘厳な神殿、とこしえのあなたの住まい」として、主の神殿を建築しました。神殿は神の家、神がその名を留めてくださる場所です。しかし、この天地を造った神様をしまい込んでしまえる場所など、この世界の中にはありません。「神は果たして地上に住まわれるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです(27節)」。
それでは、一体何のために神殿を建てるのか。神殿で神を礼拝するとき、信仰者は一体何をしているのか。「わが神、主よ。あなたの僕の祈りとその願いを顧みてください。今日、あなたの僕の祈りとその願いを顧みてください。今日、あなたの僕が御前に献げる嘆きと祈りを聞き入れてください(28節)」。神殿とそこで献げられる礼拝は、ただ神がこの祈りに耳を傾けてくださることを願い、それを信じて献げられるものです。神のために献げた神殿に向かう祈りを、どうか、天と地を造りすべてのものを超える神が耳を傾けて聞いてくださいますように。それが、神殿という存在なのです。
ここで捧げる祈りは、ソロモンの祈りを聞くと、ほとんどが罪の悔い改めの祈りです。「あなたの僕と、あなたの民イスラエルが、この所に向かって献げる願いを聞き入れてください。あなたの住まいである天からそれを聞いてください。聞いて、お赦しください(30節)」。そして、31節、33節、35節、37節などで、罪の赦しを求めています。罪を犯した者が神に立ち帰って悔い改めの祈りをするなら、この神殿に向かって祈るならば、どうかその祈りを聞いて彼らを憐れみ、赦してください。ソロモンはそう願います。
教会は、今私たちに与えられている神殿です。ソロモンの神殿は、建造物でした。私たちの神殿は教会です。ただし、教会は「教会堂」という建物のことではありません。神に呼び集められ、礼拝を献げる私たちの集まりです。私たちの神殿、それはキリストの体である私たち一人ひとりです。キリストのゆえに私たちが集まり、罪を悔やんで悲しみ、十字架の主の赦しを求めて祈るとき、神は必ずその祈りを聞いてくださることでしょう。今朝も、私たちは教会の一員であることを心にいたしつつ、悔い改めの祈りをもって一日を始めていきたいと願います。

2024年5月22日の聖句

主はその民を贖い、契約をとこしえに定めた。(詩編111:9) この方(イエス・キリスト)こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。(1ヨハネ2:2) 主が民をご自分のものとしてくださった。御言葉はそのように宣言します。私たちも神の民、神の...