2019年7月11日木曜日

2019年7月11日(列王記下25)

今日の通読箇所:使徒言行録27:27~45、列王記下25、箴言7

列王記下25;
かつてエジプトの国で奴隷として仕えていたヘブライ人の叫び声を神が耳を傾けて聞き、神の人モーセを遣わして救ってくださいました。彼らは約束の地に導かれ、やがて王を求めて、神が王として支配することを拒むという罪を犯します。しかし信仰者ダビデが王として国を治め、その子ソロモンの時代に絶頂期を迎えました。しかしその次世代に国は分裂し、北のイスラエルと南のユダに分かれました。北王国イスラエルはひたすら主に背き、やがて紀元前721年にアッシリアに滅ぼされ、国民は捕囚されました。そして南王国イスラエルは、ついに紀元前521年に新バビロニア帝国に滅ぼされ、国民はやはり捕囚され、南北に分裂したイスラエルとユダは両方とも滅びてしまいました。神の民イスラエルが、ここで一度崩壊してしまった。今朝の聖書の御言葉は、その時のことを伝えています。
王国と王政は崩壊し、さらにそれだけではなく神殿も崩壊しました。「カルデア人は、主の神殿にあった青銅の柱と台車、また主の神殿にあった青銅の『海』を打ち砕き、その青銅をバビロンへ運んだ(13)」。イスラエルもユダも、政治的に消滅しただけでなく、信仰的な中心であった神殿を失ってしまった。完全に打ち砕かれてしまったのです。
このときの彼らの虚脱感は、想像するにあまりあります。私たちも、目の前の光景のすべてが瓦礫になった隣人を前にしてきました。
しかし、聖書は最後に希望の光のようにしてヨヤキン王のその後を伝えています。彼はバビロン王の厚遇を得て、「常に王の前で食事を共にした(29節)」と言います。もしもこのとき、彼の王家が断絶させられていたら、ダビデの家から主イエスが生まれることもできませんでした。もしもそうだったら、ダビデの家と関係のないところでマリアが主イエスを産むだけだったことでしょう。この異邦の王のもしかしたら気まぐれかもしれない憐れみによって、望みがつながれたのです。
すべてを打ち壊すような絶望のただ中にも、神様は最後の希望を残してくださるのです。

2025年1月12日の聖句

今週の聖句: 神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。(ローマ8:14) 今日の聖句: 憎しみはいさかいを引き起こし、愛は背きのすべてを覆い隠す。(箴言10:12) 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりまし...