2019年7月22日月曜日

2019年7月22日(歴代誌上21〜22)

今日の通読箇所:マタイによる福音書24:1~28、歴代誌上21~22、箴言17

歴代誌上21~22;
ダビデの晩年に起きた大事件、人口調査。同じことがサムエル記下第24章にも書かれていました。しかし、決定的な違いがあります。サムエル記では、この人口調査の発端を「主はダビデを唆して民に向かわせ、『すぐにイスラエルとユダの人口を調べよ』と言われた」というかなり衝撃的な言葉で始めています。ところが歴代誌では「サタンがイスラエルに対して立ちはだかり、イスラエルの人口を調べるようにダビデを唆した」と言っている。どちらかと言えば、こちらの方が常識的です。しかしその意味は、単に分かりやすいと言うことではなく、この人口調査がサタンに唆されたダビデの罪だったとより明確に説明しているということではないかと思います。
この出来事のために、ダビデはオルナンの麦打ち場を買い取り、そこに祭壇を立てて生け贄を献げました。礼拝をすることで、神の怒りをなだめた。自分の罪に向き合うような機会であったと思います。
そして話は第22章に進み、ダビデは神殿建築の準備を始めます。「ダビデは言った。『これこそ神である主の神殿、これがイスラエルのために、焼き尽くすいけにえを献げる祭壇である』」(22:1)。そういって、その場所に神殿を建てるべく、ダビデは準備を始めたのでした。
ダビデ自身が神殿を建てようとは、もはやしませんでした。彼は戦士であり、その手は血で穢れており、主の神殿を建てるにはふさわしくない。そう神がお考えになったのだ、とダビデは言います(22:8~10)。そこで、彼は神殿建築者になるのではなく、神殿建築準備者になる。それに徹したのです。その原点は、ダビデにとっては、自分の罪であったと思います。人口調査は、神様のものであるこの民を、ダビデがあたかも自分の者であるかのように扱う、という意味での罪だったのだと思います。ダビデはオルナンの麦打ち場に来る度に、その罪を思い起こしたことでしょう。そして、それでもなお赦してくださる神を、何度も仰いだのではないでしょうか。ここに建てられていこうとする神殿、そこで献げられる礼拝の原点は、このことです。神が赦してくださった私の罪を、神の御前に悔い改める。私たちは、そのような礼拝に招かれています。

2025年7月12日の聖句

主はこう言われる。私は恵みの時にあなたに応え、救いの日にあなたを助けた。(イザヤ49:8) 今こそ待望していた時、今こそ救いの日。(2コリント6:2) 今こそ、と今日の新約聖書の御言葉は言います。「今こそ」です。救いの日は、もう私たちのところへ訪れています。今日、この御言葉を聞い...