2019年7月23日火曜日

2019年7月23日(歴代誌上23〜24)

今日の通読箇所:マタイによる福音書24:29~51、歴代誌上23~24、箴言18

歴代誌上23~24;
神殿建築者になることが適わなかったダビデは、神殿建築準備者に徹しました。人生の最期の時が近づき、彼は神殿に仕えて働く者たちを整えました。
「以上が親類毎のレビの一族、すなわち一人一人名を挙げて数えられ、登録された親族の頭で、主の神殿の奉仕の仕事をする二十歳以上の者であった(23:24)」と言われているとおり、主の神殿のために仕える者、礼拝のために仕える者たちを一人ひとり数え、その名を登録し、その職責を明確にする、ということを彼はしたのです。
それが例え古代イスラエルであっても現代の教会であっても、信仰共同体の宝は、人です。私たちの教会には、何かの宝物があってそれがご神体になる、というようなことはありません。私たちの宝は、人です。礼拝のために仕える「人」です。キリスト教会の礼拝、とくに私たちプロテスタント教会の礼拝は、礼拝者がいなければ成立しません。牧師がひとりで献げていても、それでは礼拝にならない。教会という信仰者の共同体が必要なのです。教会は祭司の群れです。礼拝を献げるために神に仕える、祭司の共同体なのです。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたが闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです(ペトロの手紙一2:9)」と、聖書に書かれています。私たちは、王の祭司です。王なるキリストの祭司です。このお方を礼拝し、この方の力ある顕現を、私たちが広くこの世界に証しするための。洗礼を受けると、教会員になります。教会員名簿に名前が載る。祭司の名簿です。洗礼は、私たちが神の祭司として登録され、神に仕えるものとなったことを示す、かけがえのないときなのです。

2024年6月17日の聖句

新しい歌を主に歌え。まことに主は奇しき業を成し遂げられた。(詩編98:1)  私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。(ヨハネ1:16)   私たちの主を賛美する新しい歌は、主の奇しき業から始まります。主がなしてくださった御業に応えて、私た...