今日の通読箇所:フィリピの信徒への手紙4、イザヤ書23~24
イザヤ書23~24;
「地は乾き、しぼみ、世界はしおれ、しぼむ。天と地は共にしおれる。地はそこに住む者たちの下で汚された。彼らが律法に背き、掟から逸脱し、永遠の契約を破ったからだ。それゆえ、呪いが地を食い尽くし、そこに住む者たちは罪の負い目を受ける。それゆえ、地に住む者たちは減り、僅かな人間だけが残される(24:4~6)」。
神様は、私たちのために律法を定めてくださいました。私たちがこれに従って生き、幸いを得るために。神様が与えてくださった律法は、私たちに向けられた神様の御心そのものです。私たちがこのように生きてほしいという、神様の願いです。その神様の願いが、法という形で与えられています。法という形式を採っていることが、とても大事なのではないかと思います。
ですから、そのことを受け継いで、教会も法によって支配されています。法が支配するというのは、人が支配するのを防ぐために定めます。牧師にも長老にも、自分の好きなように教会を支配することは許されていません。神様の御心を尋ね求めながら教会が定めた法に従って、私たちの教会は地上での営みを重ねていきます。
あるいは、国家も法に支配される存在であるはずです。国権の最高機関に付託されているのは、立法の権威です。法を定める国会それ自体も、憲法という「法」に支配されます。ですからどんなに偉い人でも法に従わなければならないし、憲法に従うことは政策の問題ではなく、権力を預けられた議員の義務です。そこには右も左もありません。
まして神がお与えになった法を人々が蔑ろにしたとき、一体何が起こったのか。天も地もしおれた、といいます。呪いが地を食い尽くしたと言います。そこで受けているのは、私たちの罪の負い目です。
法が蔑ろにされている私たちの社会は、私たちのことも、この造られた世界そのもののことをも、決定的な仕方で損なってしまっているのではないでしょうか。
「御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。」私たちは、今朝、そう祈って新しい日を始めましょう。
イザヤ書23~24;
「地は乾き、しぼみ、世界はしおれ、しぼむ。天と地は共にしおれる。地はそこに住む者たちの下で汚された。彼らが律法に背き、掟から逸脱し、永遠の契約を破ったからだ。それゆえ、呪いが地を食い尽くし、そこに住む者たちは罪の負い目を受ける。それゆえ、地に住む者たちは減り、僅かな人間だけが残される(24:4~6)」。
神様は、私たちのために律法を定めてくださいました。私たちがこれに従って生き、幸いを得るために。神様が与えてくださった律法は、私たちに向けられた神様の御心そのものです。私たちがこのように生きてほしいという、神様の願いです。その神様の願いが、法という形で与えられています。法という形式を採っていることが、とても大事なのではないかと思います。
ですから、そのことを受け継いで、教会も法によって支配されています。法が支配するというのは、人が支配するのを防ぐために定めます。牧師にも長老にも、自分の好きなように教会を支配することは許されていません。神様の御心を尋ね求めながら教会が定めた法に従って、私たちの教会は地上での営みを重ねていきます。
あるいは、国家も法に支配される存在であるはずです。国権の最高機関に付託されているのは、立法の権威です。法を定める国会それ自体も、憲法という「法」に支配されます。ですからどんなに偉い人でも法に従わなければならないし、憲法に従うことは政策の問題ではなく、権力を預けられた議員の義務です。そこには右も左もありません。
まして神がお与えになった法を人々が蔑ろにしたとき、一体何が起こったのか。天も地もしおれた、といいます。呪いが地を食い尽くしたと言います。そこで受けているのは、私たちの罪の負い目です。
法が蔑ろにされている私たちの社会は、私たちのことも、この造られた世界そのもののことをも、決定的な仕方で損なってしまっているのではないでしょうか。
「御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。」私たちは、今朝、そう祈って新しい日を始めましょう。