2019年9月15日日曜日

2019年9月15日(イザヤ書33〜34)

今日の通読箇所:テサロニケの信徒への手紙一1、イザヤ書33~34

イザヤ書33~34;
ああ、自分は滅ぼされなかったのに、滅ぼす者よ。人に裏切られもしないのに、裏切る者よ。あなたは滅ぼし尽くしたときに滅ぼされ、裏切りを終えたときに裏切られる。主よ、私たちを憐れんでください。私たちはあなたを待ち望みます。朝ごとに私たちの腕となり、苦難の時に私たちの救いとなってください。(33:1~2)
私たちには、自分は正しいという確信があります。だから、自分のしたことに何か悪いことがあるのだとしたら、それは相手がもっと悪いからだと簡単に考えてしまいます。そうではない、と神様は言われます。しかし、自分に非があることを認めるのは、簡単なことではありません。だから、祈らないわけには生きません。「主よ、私たちを憐れんでください」と。
神様の憐れみを求める祈りの言葉は「キリエ」と呼ばれて、古来教会で大切にされてきました。私の友人のある牧師は、生まれたお嬢さんにキリエちゃんという名前をつけていました。「キリエ」は、主よ、という意味の言葉です。「キリエ・エレイソン」、「主よ、憐れんでください。」この祈りに合わせて黙想をする方法が教会に伝わっています。息を吸いながら「主よ」と祈り、長くは来ながら「憐れみたまえ」と祈る。深く、腹式呼吸をしながら、ゆっくりと祈りつつ息を吸い、また吐きます。主よ、憐れみたまえ。キリエ・エレイソン。これは、自分ではもうどうすることもできないような罪の中から、神に救いを求める一筋の祈りです。今日、新しい一日を始めるにあたって、私たちも祈りましょう。主よ、私たちを憐れんでください、私を憐れんでください、と。

2025年1月16日の聖句

人間の高ぶる目は低くされ、人の高慢は卑しめられる。 その日には、主のみが高くされる。(イザヤ2:11) 神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。また、神は世の取るに足りない者や軽んじられている者を選ばれました。...