今日の通読箇所:ペトロの手紙一3、エレミヤ書22~23
エレミヤ書22~23;
エレミヤ書には厳しく罪を指摘する言葉がたくさん出てきます。読んでいると、胸が苦しくなります。ここで語られている言葉が、どれも身に覚えがあるからこそ、ただ読み過ごすことができません。
「万軍の主はこう言われる。あなたがたに預言する預言者たちの言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたを空しいものにしようとしている。彼らが語るのは自分の心の幻であって、主の口から出たものではない。彼らは私を侮る者たちに向かって『平和があなたがたに臨むと主は語られた』と常に言う。また、かたくなな心のままに歩むすべての者に向かって『あなたがたに災いは来ない』と言う(23:16~17)」。
偽預言者たちは安易な慰めや、罪の赦しなき平和を告げるが、それは彼らの心の幻に過ぎない、と言います。主が語れたことではない。心の幻は、心に秘められた願望と言ってもいいのではないでしょうか。私たちが神様にこういうことを言ってほしいという願望が、このような偽預言者の口を動かすのです。自分の願うとおりの言葉を待っていると指摘されてしまうと、もう二の句を告げない思いになります。
しかし、私たちを救うのは、私たち自身ではありません。私たちが不真実であり、不誠実であるにも拘わらず、神様は私たちを救ってくださいました。「その日が来るーー主の仰せ。私はダビデのために正しい若枝を起こす。彼は王として治め、悟りある者となり、この地に公正と裁きを行う。その日には、ユダは救われ、イスラエルは安らかに暮らす。彼の名は『主は我々の義』と呼ばれる(23:5~6)」。神が立ててくださる王に治めて頂かなくては、私たちに真実が訪れることはない。私たちの不正義や不真実とは関わりなく、しかしその罪から私たちを救うために来てくださった方によらなければ、私たちが救われることはない。そして、神はそのような救い主を、私たちのためにお送りくださったのです。私たちのまことの王、キリストを。
エレミヤ書22~23;
エレミヤ書には厳しく罪を指摘する言葉がたくさん出てきます。読んでいると、胸が苦しくなります。ここで語られている言葉が、どれも身に覚えがあるからこそ、ただ読み過ごすことができません。
「万軍の主はこう言われる。あなたがたに預言する預言者たちの言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたを空しいものにしようとしている。彼らが語るのは自分の心の幻であって、主の口から出たものではない。彼らは私を侮る者たちに向かって『平和があなたがたに臨むと主は語られた』と常に言う。また、かたくなな心のままに歩むすべての者に向かって『あなたがたに災いは来ない』と言う(23:16~17)」。
偽預言者たちは安易な慰めや、罪の赦しなき平和を告げるが、それは彼らの心の幻に過ぎない、と言います。主が語れたことではない。心の幻は、心に秘められた願望と言ってもいいのではないでしょうか。私たちが神様にこういうことを言ってほしいという願望が、このような偽預言者の口を動かすのです。自分の願うとおりの言葉を待っていると指摘されてしまうと、もう二の句を告げない思いになります。
しかし、私たちを救うのは、私たち自身ではありません。私たちが不真実であり、不誠実であるにも拘わらず、神様は私たちを救ってくださいました。「その日が来るーー主の仰せ。私はダビデのために正しい若枝を起こす。彼は王として治め、悟りある者となり、この地に公正と裁きを行う。その日には、ユダは救われ、イスラエルは安らかに暮らす。彼の名は『主は我々の義』と呼ばれる(23:5~6)」。神が立ててくださる王に治めて頂かなくては、私たちに真実が訪れることはない。私たちの不正義や不真実とは関わりなく、しかしその罪から私たちを救うために来てくださった方によらなければ、私たちが救われることはない。そして、神はそのような救い主を、私たちのためにお送りくださったのです。私たちのまことの王、キリストを。