2019年10月14日月曜日

2019年10月14日(エレミヤ書26〜27)

今日の通読箇所:ペトロの手紙一5、エレミヤ書26~27

エレミヤ書26~27;
神殿で、エレミヤが神に命じられたことを人々に語りました。「主はこう言われる。もし、あなたがたが私に聞き従わず、私があなたがたの前に置いた律法に従って歩まず、繰り返しあなたがたに遣わした私の僕である預言者たちの言葉に聞き従わないならばーあなたがたは聞き従わなかったがー、私はこの神殿をシロのようにし、この都を地のすべての国々の呪いの的とする(26:4~6)」。シロというのはかつてはサムエルが活躍した場所であり、神の箱が置かれた祈りの家でした。しかし、今はもうその機能を果たしていません。つまり、シロのようにするというのは、エルサレムのこの神殿を神は捨ててしまう、という裁きの警告です。
エレミヤのこの言葉は、激しい反発を招きました。「祭司と預言者たちは、高官たちとすべての民に向かって言った。『この人には死刑の判決を。彼は、あなたがたが自分の耳で聞いたように、この都に敵対する預言をしたからである』(11節)」。エレミヤの語る裁きへの警告を受け止めることなく、その発言は反エルサレム的だと言って断罪し、預言者も、預言者が語った言葉も、殺しにかかったのです。
第二次世界大戦のとき、ナチに抵抗した教会は弾圧されました。ナチやヒットラーに反対することは国家に対する反逆だと考えられました。その時、日本では、ホーリネス教会が国家の弾圧を受け、何人もの牧師たちが殉教しました。お上に逆らうものは国賊、売国奴と考えられていた時代です。今、私たちの国はどうなのでしょうか。今、巷では「反日」という言葉すら息を吹き返してしまいました。私たちは、一体誰に従うのでしょう。
エレミヤは迫害され、エレミヤと同じように誠実に預言をしていた預言者ウリヤは殺されました。神はもはやバビロンの侵略を甘んじて受けろとまで言います。エレミヤの言葉は、自国を愛する人たちにとって快いはずがありません。エレミヤがしたように、今日私たちが神さまをまことに神様らしく崇めて生きるとは何を意味しているのでしょうか?

2025年7月14日の聖句

(ソロモンの言葉)見よ、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。(列王記上8:27) まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。(ヨハネ4:23) ソロモンが建てた神殿は一体どのような建物だったのでしょ...