2019年10月19日土曜日

2019年10月19日(エレミヤ書36〜37)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書1:29~51、エレミヤ書36~37

エレミヤ書36~37;
エレミヤ書の後半はいろいろな時期の預言が出てくるので少し混乱しますが、今朝の36~37は、名君ヨシヤ王の後の時代のことです。基本的な背景としては、エレミヤはヨシヤに大変期待していました。しかしヨシヤはエジプトとの戦争で戦死し、道半ばでヨシヤを中心とした信仰復興運動は終わります。その後の王たちはどの王たちも神に従わないという点で大同小異でした。今日の第36章はヨヤキム王の時代、第37章はゼデキヤ王の時代。列王記を見ると、二人とも評価は同じで彼らは「主の目に悪とされることをことごとく行った」とあります。
彼らは、自分たちの聞きたいことにしか耳を傾けませんでした。先に第37章から見ると、こうあります。「主はこう言われる。『カルデア人は必ず我々のもとから立ち去る』と言って、自分たちを欺いてはならない。彼らは立ち去らないからだ」(37:9~10)。カルデア人とはバビロン人のことです。列王記を見ると、まさにゼデキヤの時代にエルサレムは陥落し、ユダはカルデア人の手で滅ぼされます。その前の時代から、もう国は持ちこたえられない状況でした。それでも王たちは根拠のない希望的観測をのべ、甘言をもって自分たちを欺く偽預言者の言葉を好んだ。この期に及んで、自分たちは大丈夫だと正常性バイアスが働いていたのかも知れません。人間の心の動きとしては、よく分かるところもあります。彼らは現実を見ず、神の言葉を無視し、あまつさえ、エレミヤはカルデア人に投降して自分だけ助かろうとしているとまで言ってのけた。そして、エレミヤを捕らえました。
第36章に戻ると、このような姿勢を象徴する事件が起きていました。エレミヤの言葉は彼の書記であったバルクが口述筆記していました。そのエレミヤの言葉巻物が読まれたとき、王宮の書記官たちはそれを畏れました。しかしヨヤキム王はその言葉を聞くと、聞いた側からその巻物を切り裂いて暖炉にくべてしまいました。「このすべての言葉を聞きながら、王もそのすべての家臣たちも恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった」(36:24)。聞きたい言葉にしか耳を傾けようとせず、聞きたくない言葉は、それが神の言葉であろうとも、火で燃やして殺してしまったのです。
私たちに語りかける神様の御言葉を、私たちはどう聞くのでしょうか。私たちに耳障りな言葉にこそ、本当の救いがあるのかも知れません。何しろ、あの「新しい契約」(31:31)を告げてくださったのと同じ神様の御言葉なのですから。

2025年7月14日の聖句

あなたが造った神々はどこにいるのか。災難に遭ったとき、あなたを救えるのなら。(エレミヤ2:28) 私の愛する人たち、偶像礼拝を避けなさい。(1コリント10:14) 偶像礼拝。それは、私たちの願望が造り出す神への礼拝です。偶像の神は私たちの願いの奴隷です。ですから何らかの目に見える...