2019年10月21日月曜日

2019年10月21日(エレミヤ書40〜41)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書3、エレミヤ書40~41

エレミヤ書40~41;
陥落したエルサレムで、エレミヤはカルデア人の手で釈放されることになりました。「そこで、私は今日、あなたに手にある鎖からあなたを解き放つ。もし、あなたが私と共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。私があなたの世話をしよう。一緒に来るのがよくなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべての地を見て、あなたが良いと思い、正しいと思う所へ行くがよい」(40:4)。こうしてエレミヤは、イスラエルの地に残ることになりました。彼はミツパにいるゲダルヤという男のところへ行ったのでした。
このゲダルヤという人は、バビロンが占領したユダに配置した総督です。ゲダルヤは、バビロンの王に仕えることを恐れず、この地で幸せになろうと民を説得します。しかし、占領軍の手先と彼を見た旧ユダ国の過激はたちは、ゲダルヤを殺し、クーデターを画策した。その作戦は一部成功し、ゲダルヤは暗殺されてしまったのです。「その時、ネタニヤの子イシュマエルと、彼と共にいた十人の部下は、立ち上がって、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを剣にかけて打ち殺した。イシュマエルは、バビロンの王がその地の監督を委ねた者を殺した」(41:2)。これに対して親バビロン派のヨハナンらはイシュマエルに抗戦しますが、結局、バビロンの怒りを恐れてエジプトに下ることにしました。(その続きは、明日です。)
今日は、戦争に負けた後の瓦礫の中での混乱を描いている章です。皆が正しいと信じることをして、混乱が深まっていった様子が描かれています。今、私たちは、インターネットの普及などもあって誰もが声を上げられるようになりました。声なき者が声を得たことは基本的に良いことだと思います。しかし、なぜか混乱も深まっています。私たちは、自分が信じる正しさから抜け出せなくなってしまいました。そして「正しさ」は相対的なので、何が正解なのかは人によって違う。「正しさ」は混乱を招きます。。
具体的に私たちがどうしたらいいのかは、難しいところです。ただ、ここに描かれたエレミヤのあり方は、私たちへのヒントになると思います。エレミヤは、もともと、バビロンに移住してそこで根を張って生きろと言い続けてきました。主の怒りを受け入れ、バビロンでの新しい生活を受け入れろ、と。必ず神が回復してくださるときが来るから、と。しかし、実際に捕囚の時を迎えたとき、エレミヤ自身は瓦礫の中に留まりました。瓦礫の中で絶望している民のもとに残りました。エレミヤは、一番の貧乏くじを選びました。彼は自分の正しさに生きるのではなく、隣人に神の言葉、福音の言葉、慰めの言葉を届ける道を選んだのだろうと思います。

2025年7月13日の聖句

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