2019年10月22日火曜日

2019年10月22日(エレミヤ書42〜43)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書4:1~30、エレミヤ書42~43

エレミヤ書42~43;
バビロンに滅ぼされたイスラエルを監督していたゲダルヤが殺され、バビロンの怒りを恐れた人々はエジプトへ下ることにしました。エジプトは大国ですから、謂わば難民として身を寄せるということです。彼らはエレミヤのところへ来て言いました。「私たちのため、またこの残ったすべての人のために、あなたの神である主に祈ってください。ご覧のとおり、大勢の中から僅かに私たちだけが残ったのです。あなたの神である主が私たちに、歩むべき道、なすべきことを示してくださいますように」(42:2~3)。そして、彼らは言います。「私たちは必ず、あなたの神である主があなたを遣わして私たちに語られる言葉のとおり、すべて実行します。良くても悪くても、私たちがあなたを御もとに遣わす私たちの神である主の声に聞き従います。私たちの神である主の声に聞き従うのは幸せになるためです」(5~6節)。
ところが、実際にエレミヤが「もしあなたがたが、どうしてもエジプトへ行こうと決意し、そこに行って寄留するなら、まさに、あなたがたが恐れている剣がエジプトの地であなたがたに追いつき、心配している飢えがエジプトで追い迫り、あなたがたはそこで死ぬ」(15,16節)と預言すると、彼らはそれを決して受け入れようとはせず、拒みました。「かレアの子ヨハナンとすべての将軍、およびすべての民は、『ユダの地にとどまれ』という主の声に聞き従わなかった」(43:4)。
かつて、他の所で見たのとほとんど同じやりとりです。王の前に出たエレミヤ。人々に語り続けてきたエレミヤ。かつても、エレミヤを通して語られた神の言葉は拒否され、人々は自分の聞きたいことを預言者に言わせようとし、思い通りにならないときには怒り、迫害しました。私たちは神様の御言葉、聖書の御言葉をどう聞くのか。迫害されても御言葉を語り続けた一人の預言者の存在が、私たちに問いかけています。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...