今日の通読箇所:テトスへの手紙2、エレミヤ書3~4
エレミヤ書3~4;
私は地を見た。そこは混沌であり、天には光がなかった。私は山々を見た。そこは揺れ動き、すべての丘は波打っていた。私は見た。人はうせ、空の鳥はことごとく逃げ去っていた。私は見た。実り豊かな地は荒れ野に変わり、町はことごとく、主の前に主の燃える怒りによって打ち倒されていた。(4:23~26)
地を見ると、そこは混沌であったと言います。地が混沌としているというのは神様が最初に天と地とをお造りになったときのようです。「地は混沌として、闇が深淵の面にあり・・・(創1:2)」。創世記もエレミヤ書も同じ言葉で「混沌」を現しています。「形なく、空しく」という字です。秩序がなく、救いがなく、虚脱の世界が広がっていた。エレミヤ書の文脈で言えば、神の裁きの下に空しくなってしまった世界、ということでしょう。神の裁きと言っても、その裁きというのは、人間の罪や悪が世界を蝕んでいくのをあえてやめさせなかった、ということであろうと思います。この世界を、私たちの罪が、悪が、損なっている。だから、エレミヤが見た形なく、空しい大地の有り様は、今この時にも続いてしまっているこの世界の悲惨に他なりません。
その「罪」について、預言者エレミヤは次のとおりに告発します。「あなたは背信の女イスラエルのしたことを見たか。彼女はすべての高い山の上、すべての生い茂る木の下に行って淫行にふけった。私は思っていた。彼女がこのすべてを行った後は、私のもとに帰って来るだろうと。しかし、彼女は立ち帰らなかった。不実な姉妹であるユダはそれを見ていた。背信の女イスラエルが姦淫したという理由で、私が離縁状を渡して彼女を追い出したのに、不実な姉妹ユダは恐れ気もなく、淫行を行ったのを私は見た。彼女は軽薄にも淫行を繰り返して地を汚し、また石や木と姦淫を行った(3:6~9)」。もちろんこの言葉は神様と神を信じる者たちとの関係を男女の関係に置き換えるメタファーです。従って、ここで言う「姦淫」というのは、偶像礼拝のことです。女が夫を裏切って姦淫するように、私たちは神を裏切って他の神々を拝んでいる、と告発します。これが私たちの罪の根なのです。
神ならぬものを神とするなら、この世界に混沌を呼び込んでしまう。預言者はそう警告します。私たちは誰を神として拝んでいるのでしょうか。私たちをご自分の妻として「立ち返れ、背信の女イスラエルよ(12節)」と、私たちを求めてくださる主なる神様なのか。それとも、自分の願望を形にした神ならぬものなのか。主は、今朝も私たちに「立ち帰れ」と呼びかけてくださっています。
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