2019年10月6日日曜日

2019年10月6日(エレミヤ書10〜11)

今日の通読箇所:ヤコブの手紙2、エレミヤ書10~11

エレミヤ書10~11;
預言者は誰でもそうであるかもしれませんが、この預言者エレミヤは特に真剣に神様の御言葉に向き合った人であると思います。彼が語るようにと神様から託された言葉は、イスラエルの人々が神様を捨て、離れていることへの告発の言葉でした。罪を指摘する言葉でした。そんな言葉を語ったらどうなるのか、想像に難くはありません。エレミヤは、非常に激しく迫害された預言者でもありました。
「主が私に知らせてくださったので、私は知りました。その時、あなたは彼らの行いを私に見せてくださいました。私は、屠り場に引かれて行くおとなしい小羊のようでした。彼らが私に対して『我々はその木をその実と共に滅ぼし、生ける者の地から絶とう。彼の名が再び思い出されないようにしよう』と企てていることを、知りませんでした(11:18~19)」。
人々はエレミヤは殺そうと企み、エレミヤには神様以外には頼るべきものが何もありませんでした。そこまでして神の言葉に生きたのが、この一人の預言者でした。どうして、エレミヤはそこまでして主なる神様に従ったのでしょうか。11:1以下を見ると、神様がエレミヤに語りかけた言葉が書かれています。そこで神様は、かつてイスラエルの人々がエジプトから導き出され、神と契約を結んだことに言及しておられます。エレミヤは、この神と民との関係の原点に立っていました。神様が私たちを選び、契約を結んで祝福を与え、今私たちを生かし、恵みの将来を約束してくださっている事実に立っていた。だからこそ、私たちはこのお方だけをまことの神と信じ、礼拝し、仕えねばならないのです。
エレミヤが立ったこの事実は、今私たちにはイエス・キリストの事実として知らされています。私たちはキリストの恵みの契約に結ばれているから、このかけがえのない信仰の宝に生きることができるのです。時に、私たちは、キリストを信じているからこ「これこそ私の病、私はそれを負わなければならない」と言わねばならない場面にも遭遇するでしょう。しかし、キリストによって示された神の祝福は、どんなときにも変わることがありません。だから、エレミヤと共に、私たちは真剣にこのお方の御言葉に向かうのです。

2025年7月14日の聖句

あなたが造った神々はどこにいるのか。災難に遭ったとき、あなたを救えるのなら。(エレミヤ2:28) 私の愛する人たち、偶像礼拝を避けなさい。(1コリント10:14) 偶像礼拝。それは、私たちの願望が造り出す神への礼拝です。偶像の神は私たちの願いの奴隷です。ですから何らかの目に見える...