今日の通読箇所:ヤコブの手紙4、エレミヤ書14~15
エレミヤ書14~15;
預言者エレミヤは、主なる神様に祈ります。「私たちの過ちが私たちに不利な証言をしても、主よ、御名のために事をなしてください。私たちの背信は大きく、あなたに対して、私たちは罪を犯しました(14:7)」。エレミヤは民の罪を、わが罪として神の前で悔い改めの祈りをします。神を信じる一人の人の真剣な姿がここにあります。それは、プライベートな自分だけの世界の中に閉じこもるようなことではなくて、隣人のために一心に神様に向かう預言者としての姿です。
しかし、そうではない預言者もいたようです。「私は言った。『ああ、主なる神よ、預言者たちが彼らに言っています。「あなたがたは剣を見ず、飢饉があなたがたに臨むこともない。私は確かな平和を、この場所であなた方に与える」と。主は私に言われた。「預言者たちは、私の名によって偽りの預言をしている。私は彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、彼らに語ったこともない。彼らは偽りの幻と空しい占いと自分の心の欺きをあなたがたに預言しているのだ」』(13~14)」。偽りの預言者らは、自分勝手に主の名を騙って、民に安易な安心を預言します。しかし、主はそのようなことを語れたと言ったことはない、と彼らを断罪します。
偽りの預言者たちとエレミヤとの決定的な違いは、エレミヤが罪の悔い改めの祈りを自分の心を注ぎ出すようにして献げたのに対し、偽預言者が決してそのようにはしなかった、という点に見られます。エレミヤの一心に主に向かい、同胞のために御言葉を語り続けたあり方は、彼自身の心には大きな重荷になりました。「ああ、災いだ。私の母よ、あなたが私を産んだので、国中で私は争いの男、いさかいの男とされている(15:10)」。人々はエレミヤを憎み、呪いました。しかし、主の前に幸いとされるのは、エレミヤです。神様の前に到底立つことがゆるされない私たちの罪を神様の御前に悔い改め、罪の赦しの福音を砕かれた心で宣べ伝える者を、神は覚えていてくださることでしょう。この一人の預言者が、私たちを神の御前へと招いています。
エレミヤ書14~15;
預言者エレミヤは、主なる神様に祈ります。「私たちの過ちが私たちに不利な証言をしても、主よ、御名のために事をなしてください。私たちの背信は大きく、あなたに対して、私たちは罪を犯しました(14:7)」。エレミヤは民の罪を、わが罪として神の前で悔い改めの祈りをします。神を信じる一人の人の真剣な姿がここにあります。それは、プライベートな自分だけの世界の中に閉じこもるようなことではなくて、隣人のために一心に神様に向かう預言者としての姿です。
しかし、そうではない預言者もいたようです。「私は言った。『ああ、主なる神よ、預言者たちが彼らに言っています。「あなたがたは剣を見ず、飢饉があなたがたに臨むこともない。私は確かな平和を、この場所であなた方に与える」と。主は私に言われた。「預言者たちは、私の名によって偽りの預言をしている。私は彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、彼らに語ったこともない。彼らは偽りの幻と空しい占いと自分の心の欺きをあなたがたに預言しているのだ」』(13~14)」。偽りの預言者らは、自分勝手に主の名を騙って、民に安易な安心を預言します。しかし、主はそのようなことを語れたと言ったことはない、と彼らを断罪します。
偽りの預言者たちとエレミヤとの決定的な違いは、エレミヤが罪の悔い改めの祈りを自分の心を注ぎ出すようにして献げたのに対し、偽預言者が決してそのようにはしなかった、という点に見られます。エレミヤの一心に主に向かい、同胞のために御言葉を語り続けたあり方は、彼自身の心には大きな重荷になりました。「ああ、災いだ。私の母よ、あなたが私を産んだので、国中で私は争いの男、いさかいの男とされている(15:10)」。人々はエレミヤを憎み、呪いました。しかし、主の前に幸いとされるのは、エレミヤです。神様の前に到底立つことがゆるされない私たちの罪を神様の御前に悔い改め、罪の赦しの福音を砕かれた心で宣べ伝える者を、神は覚えていてくださることでしょう。この一人の預言者が、私たちを神の御前へと招いています。