「主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道、暴言を吐く口を、私は憎む。」私たちは、二人の主人に兼ね使えることができない。一方を愛していた方を憎むか、一方を憎んで他方を愛するか、そのどちらかだ。主を畏れ、同時に悪を愛することはできない。当たり前のようにさえ響くが、それがまったく当たり前になっていない自分の日常を思わざるを得ない。「私を愛する人を私も愛し」という。他の何でもなく、主を愛そう。
2025年9月1日の聖句
9月の聖句: 神は我らの逃れ場、我らの力。(詩編46:2) 今日の聖句: 今日までしてきたように、あなたがたの神、主にのみ付き従わなければならない。(ヨシュア23:8) ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。かの日が近づいているのを見て、ますます...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...