2019年12月24日火曜日

2019年12月24日(ハガイ書)

今日の通読箇所:ルカによる福音書2:1~20、ハガイ書

ハガイ書;
預言者ハガイが活躍したのは、イスラエルの人々が捕囚から解放され、神殿再建のためにエルサレムに帰還してきた頃です。彼らは、都を再建し、神殿を再び祈りの家として神に献げるためにイスラエルへと帰っていきました。
神は預言者ハガイに言われます。「万軍の主はこう言われる。この民は、『まだ、主の神殿を再建する時は来ていない』と言っている。主の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。『この神殿が廃墟となっているのに、あなたがたが板張りの家に住むときであろうか。今、万軍の主はこう言われる。あなたがたは自らの歩みに心を留めよ』」(1:2~5)。
そうは言っても、と思います。彼らは神殿をほったらかして贅沢三昧をしていたわけではありません。遊んでいて遅れたのではない。彼ら自身、はじめて足を運んだ故郷、廃墟の中に埋もれていた故国へ何世代かぶりに帰って来て、自分自身の住む家も瓦礫のような状態です。そういう彼らの生活状況を考えてみるに、本当に厳しい言葉であると思わざるを得ません。
私は今回ハガイ書を読んで、3月11日の震災の後に見た写真を思い出しました。東北の沿岸にあった教会堂、津波で瓦礫と化した教会堂跡地に、廃材を組み合わせた十字架が立てられていた写真です。そこに来て、祈っている信仰者がいたのでした。
この預言者は、人々の暮らしなどどうでもいいと言っているわけではないと思います。私たちの生活は、毎日が精一杯のところがあります。その日その日を生きていくだけで、大変なことです。そうすると、毎日、今日は仕方ない、またこの次に頑張ろうと、いくらでも言い訳の材料は生まれてきます。いつの間にか、私たちの心の中はカオスに埋め尽くされてしまいます。そんなとき、私たちの内に、十字架は立っているのでしょうか。
「主の神殿の基が据えられたこの日から、心に留めよ。穀物倉にはまだ種があるか。ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブの木は、まだ実を結んでいない。しかし、今日から、私は祝福を与える」(2:18~19)。
神様は、私たちの思いもかけない報いを下さることでしょう。私たちの目には見えない範囲のことなので予想も付きませんが、神が下さる祝福は私たちの想像を超えて大きい。いや、私たちはその祝福をすでに見ています。私たちが祈りの家を再建しようとするよりももっと先に、神様ご自身が私たちに先立って、私たちのための祈りの家を再建してくださいました。キリストのお体、教会です。クリスマスにお生まれになった方が、私たちの祈りを執り成してくださいます。だから、今、私たちはすべての私たちに与えられた課題を一度中断して、神様の前に、御言葉に聞き祈りを献げている。神が私たちに先立って、イエス・キリストという恵みの賜物を下さったからです。

2024年4月17日の聖句

私の魂よ、主をたたえよ。 私の内なるすべてのものよ、その聖なる名をたたえよ。(詩編103:1) 私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神は、豊かな憐れみにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてく...