2019年12月23日月曜日

2019年12月23日(ゼファニヤ書3)

今日の通読箇所:ルカによる福音書1:57~80、ゼファニヤ書3

ゼファニヤ書3;
「その日、人々はエルサレムに向かって言う。『シオンよ、恐れるな、力を落としてはならない。あなたの神である主はあなたのただ中におられ、救いをもたらす勇者である。主は、喜びをもってあなたを祝い、愛をもってあなたを新たにし、喜びの歌をもってあなたに歓喜の声を上げる』」(16~17節)。
主が、イスラエルの人々を救ってくださる、その日に献げるべき賛美です。神の民は自分たちの罪が招いた裁きのために苦しんでいますが、必ず神が救ってくださる将来が来る、そう約束しています。主ご自身が救いをもたらす勇者として、主が喜びをもって祝福してくださるという力強い約束の言葉です。
この救いの日の幻としてすばらしいのは、この言葉です。「私はあなたの中に、貧しい者、弱い者を残す。彼らは主の名を逃れ場とする」(12節)。主は救いの日に、民の中に貧しい者、弱い者を残す、と言われます。神様が下さる救いというのは、弱い者が強くなることではありません。まして、貧しい者が淘汰されて強い者だけが生き残るということではないのです。神は、貧しい者、弱い者を残される。彼らは主の名、私の名を逃れ場とすると神は言われます。弱い者が弱いままに、主の御名のゆえに生きることができる。神様が私たちに約束してくださった救いは、そういう救いです。弱い者の存在を神は尊んでおられる、という宣言です。
だから、このようにも言われています。「その時、私はもろもろの民に清い唇を授ける。彼らは皆、主の名を呼び、一つになって主に仕えるようになる」(9節)。貧しい者も弱い者も、異邦人もユダヤ人も、豊かな者も強い者も、皆一つになって主の前に進み出て、仕える日が来る。主の救いの日、神が私たちをご自分の国に迎え入れてくださる日、この約束が実現します。
皆が一つになって主に仕えるというのですから、神様の救いの中には、私たちが助け合ったり支え合ったりするということも含まれるのでしょう。思えば、主の救いの日というのは、教会で、すでに始まっているのではないでしょうか。教会というキリストの体、キリストが呼び集めた神の民、キリストの救いに与った者たちのうちに、神は、この救いの日を始めておられるのではないでしょうか。「御国を来たらせたまえ」と祈って、今日の歩みを始めましょう。

2024年4月19日の聖句

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