2020年1月19日日曜日

2020年1月19日(マタイによる福音書14)

マタイによる福音書14;
天の国の到来を告知し、しかし故郷で受けいられることのなかった主イエスとは、一体何者なのか?その問いに答えるのが、今朝の箇所であろうと思います。
最初に、ヘロデが登場しています。彼はイエスの噂を聞いて、イエスは洗礼者ヨハネに違いないと言います。おびえています。かつてヘロデはヨハネから罪を指摘されて、それを黙らせるために捕らえて縛り、牢に入れてしまった。すぐに処刑したかったのですが、ヨハネの民衆からの人気を気にして手を下せずにいました。ところがある日、娘のヘロディアからヨハネの首をはねてほしいと言われて、その通りにします。ですから、ヘロデはヨハネの名を恐れたのです。イエスの評判にヨハネの幻影を見て、怖がったのです。
「イエスはこれを聞くと、舟によってそこを去り、独り寂しい所に退かれた。」この「これを聞くと」というのは、ヘロデによるヨハネ処刑のことです。ヨハネが殺害される世界の中を、主イエスは歩んでおられ、独りになろうとしました。祈るためであったのではないかと思います。「しかし、群衆はそれを聞いて、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人を癒やされた。」主は、ヘロデの支配する世界の中で、苦しみ、悲しむ大勢の人々を見て、深い憐れみに胸を焦がされたのです。この世界はヘロデが支配しているかのようですが、しかし、キリストの憐れみが現される世界でもあります。
そこで、主イエスはこの群衆のために、パン五つと魚二匹を持って彼らを養ってくださいました。彼らは食べて満腹し、「余ったパン切れを集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子どもを別にして、男が五千人ほどであった。」5000というのは、「民」を象徴する数だと言われています。12はイスラエルの十二部族。つまり、主イエスはパン五つと魚二匹をもって新しいイスラエル、新しい神の民を生み出しておられる。このヘロデの世界に、キリストの憐れみによる新しい民が生まれます。
キリストによって生み出された新しい民は、湖の上で逆風に悩まされる小さな舟のようなものです。ヘロデの世界を進むので、いつも逆風が吹き荒れています。しかし、その舟にはイエスが歩いて近づいてきてくださっています。ですから、私たちは恐れてはならない。主は舟に乗る弟子たちに向かって「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と言われます。この「私だ」という言い回しは特別で、神が神として出なければ口にすることのできない表現の仕方です。主イエスは私たちに言われます。「安心しなさい。私だ。お前の神である私だ。だから逆風を恐れるな。私がいる。安心しなさい」と。このお方こそ、私たちを救う神ご自身なのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...