2020年2月22日土曜日

2020年2月22日(ローマの信徒への手紙11:1〜12)

ローマの信徒への手紙11:1~12;
預言者エリヤはイスラエルの人々が女王イゼベルの下にバアルに膝をかがめ、主なる神を忘れ、背いたとき、酷い迫害に遭いました。イスラエルの信仰の火はもう消えたと言わざるを得ない状況でした。それで、エリヤは神に祈ります。「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。私だけが残りましたが、彼らは私の命を狙っています。」ところが、パウロは言います。神がエリヤに何と告げたのか。神は言われました。「私は、バアルに膝をかがめなかった七千人を自分のために残しておいた」と。エリヤの見えないところで、神ご自身がイスラエルの人々に働きかけてくださっていました。エリヤの目には、イスラエルの人々が自分の仲間の預言者たちを迫害し、殺し、主の祭壇も破壊し、イスラエルの信仰が崩されたことしか見えていませんでした。しかし、それでもなお神は働いてくださっていました。神が、周囲の流れに棹さすことなく、周りにあわせないで、バアルに膝をかがめなかった者、信仰に生きた者を7000人も残しておいてくださったのです。
パウロがしているのはユダヤ人の話です。ユダヤ人は神に退けられのかという問いへのパウロからの答です。そのことを十分踏まえた上で、私たちがパウロのこの言葉を私たちの周囲に生きる同胞のための言葉として聞くことも許されるのではないでしょうか。私たちの目に映るところがどんなに悲惨だったとしても、神様は、この世界の中で働き、ここにも「7000人」を残してくださるに違いないのです。
エリヤはユダヤの人々を憎んでいたわけではありません。迫害されながら一所懸命に伝道して生き続けました。そのエリヤをして「もうだめだ」という言葉が口をついて出てきてしまう過酷な現実がありました。しかし、神様の御業は、エリヤの諦めだけではなく熱心よりも広く、そしてすばらしいものなのです。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...