2020年4月13日月曜日

2020年4月13日(ヨハネによる福音書11:17~44)

ヨハネによる福音書11:17~44
「イエスは言われた。『私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』マルタは言った。『はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています。』」
一週間、受難週で間があきましたが、4日にラザロの物語の最初を読みました。今日はその続きです。ラザロは病気にかかっていて、彼の姉妹(二人の姉たちとよく言われています。)が主イエスのもとに人をやって、主に助けを求めました。しかし、主イエスはなかなか来てくださらない。イエスが彼らの住むベタニアまで来たときには、ラザロはすでに墓に葬られて四日も経っていました。手遅れでした。
ですので、マルタは言います。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」あるいはマリアも同じように言いました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」、と。二人の気持ちは私たちにもよく分かります。私たちも同じ祈りを何度も繰り返してきたからです。
主イエスはそれに対してどう反応したのでしょうか。「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、憤りを覚え、心を騒がせて、言われた。『どこに葬ったのか。』」イエスさまは、マリアや村の人たちが泣いているのを見て、憤りを覚え、心を騒がせたと言います。意外な反応です。なぜ怒ったのか?そこに、マルタやマリア、村の人々の不信仰を御覧になったからであると思います。
イエスは言われました。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」イエスは、私たちが信じることを求めておられます。この方は、私たちの死という現実よりも力ある方なのだ、と。
私たちの肉体は、やがて必ず滅びます。霊も魂も滅びます。必ず死にます。しかし、イエスを信じるならば、死を打ち破るキリストの力にあずかります。今、キリストを信じるなら、ここでキリストが与える永遠の命を生き始める。主イエスは墓にいるラザロに向かって、「ラザロ、出てきなさい」と言われました。私たちの愛する者のことも、同じように起こしてくださいます。私たちは肉体も魂も弱くて儚い存在です。しかし、キリストは私たちを起こしてくださる。キリストの呼び声が、私たちにも響いています。この声を信じてほしい、主は私たちにそう願っておられます。

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