2020年4月15日水曜日

2020年4月15日(ヨハネによる福音書21:1〜14)

ヨハネによる福音書21:1~14
イエスが「子たちよ、何かおかずになる物は捕れたか」と言われると、彼らは、「捕れません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れるはずだ。」そこで網を打ってみると、魚があまりに多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
復活した主イエスさまは、舟に乗って魚を捕る弟子たちに「何かおかずになる物は捕れたか」とおっしゃいました。何とすばらしい翻訳でしょう!「おかずになる物は捕れたか」です。生き生きとした、臨場感のある日本語です。
弟子たちがイエスに言われたとおりに網を下ろし、その後そこにおられて声をかけたのが主だったと気づいて岸に戻ってくると、主が炭火を起こして待っていてくださいました。「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と主は言われます。そこにはパンもあります。おかずは今捕れた魚。主食は主が持って来てくださったパンです。弟子たちは、主イエスと一緒に朝ご飯を食べました。
ルカによる福音書とヨハネによる福音書は、復活したイエスさまが弟子たちと一緒に食事をしたことを伝えています。私たちの食卓に、主が共に着いてくださっています。しかも、ご飯ができるのを待って座っているのではなく、主が準備してくださっています。私たちが頂く食事は、主が備えてくださったものです。
今日の箇所の最後には、このように書いてあります。「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。」イエスさまは、繰り返し繰り返し、私たちのところを訪れてくださいます。私たちと一緒に食卓についてくださいます。私たちの毎日の食事の時、私たちが「湖」という働きの場にいるとき、いろいろなときに私たちを訪ねて、私たちの毎日の生活の中で共に歩んでくださっています。私たちの毎日の生活を尋ねてきている主イエスの呼び声、「子たちよ、何かおかずになる物はあるか」、「舟の右側に網を打ちなさい」という声を、あなたは聞き取っていますか?

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29) これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79) 主なる神さまの憐れみの心によって。これが...