2020年4月18日土曜日

2020年4月18日(コリントの信徒への手紙一15:1〜28)

コリントの信徒への手紙一15:1~28
「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりに私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。」
使徒パウロは、「最も大切なこと」と言います。これを欠いては福音は福音にならない、ということになります。そこでパウロが語り出すのは、一つの事実です。キリストが何をしたのか、という出来事を伝えます。
私たちは聖書の「最も大切なこと」を何だと捉えてきたでしょうか。ここには、私たちの心の平安だとか、劣等感からの解放だとか、自分らしく生きるだとか、そういうことは書かれていません。もちろんそういうメッセージも大切でしょう。しかし最も大切なことは別の所にあります。
最も大切なこと、それは、キリストの死と復活です。キリストの事実こそが最も大切なことです。なぜなら、それが聖書が旧約の時代から語り続けてきたことであり、この事実に基づいて、神はわたしたちを救ってくださったからです。
私たちのことについては、パウロはこのように言います。「この世にあって、キリストに単なる望みをかけているだけなら、私たちは、すべての人々の中で最も哀れな者になります。しかし今や、キリストは死者の中から復活し、眠りに就いた人たちの初穂となられました。」キリストの死と復活が私たちに与えた望みは、この世の中だけで終わってしまう望みではない、と言います。キリストが死者の中から復活したのだから、キリストを初穂として私たちすべてのものが死者の中から復活する、とパウロは訴えます。私たちもやがて復活する、それがキリストを信じるものに神が与えてくださっている望みです。
神様を信じて何かに成功したり、望みが叶うことも時にはあるかも知れません。しかし、願いが叶うことが私たちの信仰の望みではありません。この世の命を超えた望みが私たちの信仰の望みです。それがキリストの復活によって確かになる喜びです。だから、私たちは自分の命の尺度以上の基準で生きることができます。神様の前で価値ある人生を選びたいと願います。失敗することはあります。むしろ失敗だらけかも知れません。それでも神様に「よくやった、忠実な僕よ」と言っていただくことを望んで生きるのなら、そのことを神は喜び、私たちの命では測ることのできない価値を与えてくださるのではないでしょうか。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...