2020年4月24日金曜日

2020年4月24日(ルカによる福音書4:31〜44)

ルカによる福音書4:31~44
汚れた霊や悪霊もまた主イエスのことを知っていました。主イエスが会堂で権威をもって教えておられたとき、そこにいた男に取りついていた汚れた霊が、彼に叫ばせます。「ああ、ナザレのイエス、構わないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。。神の聖者だ。」あるいは、会堂を去ってシモンの家に入り、しゅうとの熱を下がらせましたが、その後日が暮れると「いろいろな病気に悩む者を抱えた人が皆、病人たちをイエスのもとに連れてきた。イエスは一人一人に手を置いて癒やされた。また悪霊も、『あなたは神の子だ』と叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは悪霊を叱って、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスがメシアだと知っていたからである」ということもありました。
汚れた霊や悪霊どもも主イエスを知っていたのです。しかも、「神の聖者だ」とか「あなたは神の子だ」というのは、確かにその通りです。正確な知識を持っていたと言ってもよいのではないでしょうか。しかし、主イエスは汚れた霊や悪霊を叱りつけておられる。それは、私たちに、汚れた霊や悪霊のようにではなく、別の仕方でご自分を知ってほしい、と考えておられたからではないかと思います。
主イエスさまは言いました。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。私はそのために遣わされたのだ」と。主イエスさまは、神の国の福音をすべての人に告げ知らせるために、父なる神様に遣われて、私たちのところに来てくださいました。
汚れた霊や悪霊は、主イエスを「神の聖者だ」とか「神の子だ」とか、そこの部分だけを取り上げれば正確な知識を持っています。しかしそこに欠けていたのは、神の国の福音、ということです。この聖者、神の子は、私たちを救う神の国の福音を告げ知らせてくださっている、という事実です。
聖書は、私たちのダメなところをあげつらったり、私たちを詰問してダメ出しするために書かれたのではありません。聖書は、私たちに主イエスを紹介します。この方は私たちに神の国の福音を宣言し、私たちを救うために、私たちのところへ来てくださいました。この方は私たちを愛する神そのものです。だから、知識が正確かどうかということ以上に、この方は私を救うために来てくださった、神の国の民として私を生かしてくださるということを信じることが、本当に大切なこと、欠くことのできない福音です。主イエスは私たちへの神の国の福音そのものです。キリストは私たちを救うために、神に遣わされて来てくださいました。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...