2020年4月25日土曜日

2020年4月25日(ルカによる福音書5:1〜16)

ルカによる福音書5:1~16
「沖へ漕ぎ出し、網を下ろして漁をしなさい。」
主イエス・キリストが、ゼベダイの子シモンにおっしゃいました。シモンは答えます。「先生、私たちは夜通し働きましたが、何も捕れませんでした。」今、私たちのこの時代の呻きではないでしょうか。コロナウイルスから始まった今日の状況を、あらかじめ想定し、予測できていた人は世界を見回してもそう多くはないと思います。いろいろなことが止まりました。今回の事態が落ち着いても、数年かけて何回も波がやってくるという推測をする専門家もいるようです。そうなったときに、私たちの生活が回っていく経済的な力は、この社会に残るのでしょうか。あるいは政治的な混乱もこれまで以上に深刻化するでしょうから、そういうことも不安になります。シモンのあの言葉、「先生、私たちは夜通し働きましたが、何も捕れませんでした」という言葉が、私には他人の言葉に聞こえないのです。
しかし、シモンの言葉はそこで終わりませんでした。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」きっと、これが信じるということなのだと思います。確かなしるしも証拠もありません。しかし、お言葉ですから。主イエスがおっしゃるお言葉ですから。ただそれだけの理由で、彼は沖へ漕ぎ出して、もう一度網を降ろしてみました。
私たちにとっては、やはりこのシモンの経験は、教会の経験として響きます。彼は最後に主イエスから「今から後、あなたは人間をとる猟師になる」と言われましたから、私たちにとってこの日にシモンが経験した出来事は教会の伝道の労苦に重なります。私たちも、ただ主イエスがそうおっしゃるから、沖へ漕ぎ出して網を降ろし続けます。
私たちの今の状況は、人間的に見ればあまり楽観視できるものではありません。しかし、それでも私たちは網を降ろします。主がそうおっしゃるからです。網を降ろすというのは、もちろん、福音を語り続けるということです。私たち教会は主の恵みの年が来たことを宣言します。ここに救いがあるからです。主イエスは、ガリラヤ湖で魚を捕るためにシモンの手を用いました。同じように、主は私たちの口を用います。私たちの手や目つきや足を用います。私たちの枕を用いてくださることもあるでしょう。私たちにはそれぞれの湖があります。その場所で、私たちはキリストを信じるから、主のお言葉だから、ただそれだけの理由で望みを持って、福音の網を降ろします。主イエス・キリストの福音を待っている人が、必ずそこにいるからです。

2024年4月20日の聖句

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