2020年4月27日月曜日

2020年4月27日(ルカによる福音書6:1〜26)

ルカによる福音書6:1~26
「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平地にお立ちになった。大勢の弟子たちとおびただしい群衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの話を聞くため、また病気を治してもらうために来ていた。」
ルカが伝えている、ここから始まる主イエスの説教は、平地の説教と呼ばれています。マタイが同じ説教を山の上でなさったと書いています。ルカは「平地にお立ちになった」と言っているところから、そのように呼ばれています。マタイとルカそれぞれの福音書を書く神学的な視点によって、少しずつ描写が異なっています。
しかし同じ点もあります。マタイもルカも、主イエスのところにおびただしい人が集まってきた、というところから話を始めています。しかも、マタイもルカも、集まってきた人たちは病人や悪霊に取りつかれた人々だった、と言います。主は人々を癒やし、その上で、語り始めておられる。その点が共通しています。キリストが語りかけるのは、痛み、苦しみ、病む者への福音です。
主イエスはおっしゃいました。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」マタイでは、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」となっていました。「心の」という言葉があるかないかという大きな違いがありますが、今回は後半の言葉に注目したいと思います。ルカが伝えるところによると、主イエスは「神の国はあなたがたのものである」と言われました。「あなたがた」への言葉です。キリストは、目の前にいる貧しい人や病んでいる人に向かって、あなたたちは幸いだ、神の国はあなたたちのものだと宣言なさったのです。
主イエスは、続けて、「今、飢えている人々」、「今、泣いている人々」、「人々があなた方を憎むとき」、あなたがたは幸いだとおっしゃいます。驚くべき言葉です。本当に、心から、「アーメン、その通りです」とは言えないような言葉です。やはり、貧しいよりは富んでいる方がいいです。飢えているのはつらいし、食べ飽きるほどであれば安心です。泣かなければならない現実は厳しく、笑って暮らしたいです。人から拒絶され、迫害されるよりも、受け入れてもらいたい。それが、自然な感情です。それを否定されたら、辛いです。
この言葉は、主イエスさまにしか言えない言葉です。そして、主が言われるからには、本当にそこに幸いがあるということを、私たちは信じたい。まさに、これは信仰に属する事柄です。信ずべきことです。今、私たちが苦しい思いをしているのなら、今、不安であるのなら、主イエスは言ってくださいます。あなたがたは幸いだ、と。その言葉を、私のために貧しくなってくださったキリストのゆえに、信じたいのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...