2020年4月30日木曜日

2020年4月30日(ルカによる福音書7:24〜50)

ルカによる福音書7:24~50
「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家で食事の席についておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、背後に立ち、イエスの足元で泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗った。」
主イエス・キリストの足元で涙を流し、その足を涙でぬらして髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗った一人の女。名前も分かりません。ただ、罪深い女と呼ばれています。主が食事に来たファリサイ派のシモンという男は彼女のことを知っていたようです。町では知られた女だったのでしょう。他ならぬこの女がそのようなことをしているのを見て、彼は「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が誰で、どんな素性の者か分かるはずだ。罪深い女なのに」と心の中に思ったというのです。
この主イエスと罪の女の物語は、洗礼者ヨハネについての主イエスのお言葉の直後に書かれています。そのことはとても大切なのだと思います。ヨハネと彼の周りにいた人々について、主イエスは言います。「ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。」イエスさまが拒んだ、と言われる神様の御心とは何か。ヨハネは洗礼を授ける時に言っていました。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結べ。」ヨハネを通して現された神様の御心は、私たちに悔い改めを求める御心です。
ところが、シモンにとっては、悔い改めは他人事でした。あの罪の女は悔い改めるべきであり、イエスが預言者ならそれを見抜くべきでした。悔い改めは自分の問題ではありませんでした。ヨハネを退けた人々は、主イエスのことも退けます。「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、食べたり飲んだりすると、『見よ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。」主イエスの御前にあって、罪の悔い改めと赦された喜びとは、一つです。だから、主イエスは彼女についてシモンに言いました。「この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。」そして、女に言います。「あなたの罪は赦された」「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
主イエスは、私たちにも同じ罪の赦しの宣言を聞かせようと、私たちを招いてくださっています。自分事として罪を悔い改め、主を愛する愛を、主は喜んでくださいます。それが他人から見たら滑稽だとしても、主は罪赦された者の一途な愛を、深く胸に留めてくださいます。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...