2020年4月9日木曜日

2020年4月9日(マルコによる福音書14)

マルコによる福音書14
イエスは言われた。「これは、多くの人のために流される、私の契約の血である。よく言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」
主イエスさまは、弟子たちと囲んだ過越の食卓でそのようにおっしゃいました。パンを裂いてご自分の体だと言って渡し、ぶどうの杯を取ってご自分の血、契約の血だと言ってそれをお与えになった。それを飲んだ弟子たちに、「神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実で作ったものを飲むことはもう決してあるまい」と言われた。日本語にするとうるさいのでいちいち訳していませんが、この言葉は当然のことながら、「私はもう飲まない」と、主イエスが主語になった言葉です。主はどんな気持ちでこの言葉をおっしゃったのでしょうか。
今、私たちは一つの場所に集まって礼拝を献げることを中断しています。現代の便利なウェブツールの力を活用して祈りを合わせ、一つの御言葉に耳を傾けていますが、集まることにはかえられません。まして、共に聖餐の食卓を囲むことができないのは大きな痛みです。聖餐についてはすでに3月から取りやめていました。日曜日に顔を合わせて再会し、声を合わせて賛美を献げられないことは、さみしく辛いことです。主が、愛する弟子たちと「神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してもうあるまい」とおっしゃっらなければならなかった時のお気持ちは、どんなにさみしく辛いことでいらしたことでしょう。しかも、私たちが今これを中断しているのは、ウイルスの蔓延を防ぐためであって、誰が悪いわけでもありません。今はこれが必要です。しかし、主イエスが一緒にぶどう酒を飲むことはもう決してあるまいとおっしゃったのは、私たちの罪のためです。これから十字架にかかるから、もうこの食卓を共に囲むことはできない、ということです。主は、私たちのために共に囲む食卓を断念してくださいました。孤独を、ご自分一人で引き受けてくださいました。
しかし、もう永遠にあなたたちとワインを飲むことはない、とおっしゃったのではありません。「神の国で新たに飲むその日まで」です。神の国で、私たちは主と顔と顔とを合わせてぶどう酒を飲む日が来ます。その味はどんなにか格別なことでしょう。今から楽しみですね。聖餐は、その神の国の宴席の前味と言われます。私たちの今の措置も、永遠には続きません。神の国の食卓を待ち望みつつ、そして来る聖餐の日を待ち望みつつ、私たちはこの受難週を特別な思いで刻んでいきます。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...