2020年5月4日月曜日

2020年5月4日(ルカによる福音書9:1〜36)

ルカによる福音書9:1~36
「私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、私に従いなさい。」
私は、今日、ここに書かれている「日々」という小さな言葉が目にとまりました。主イエスさまに付いていくこと、従うことは「日々」のことです。一度そうしたらそれで終わりというのではなくて、毎日新しく従っていくということなのだと思います。
ルターが書き、教会の改革運動の発端となった95箇条の提題の最初の命題はこのようにあります。「我らの主であり師であるキリストが『悔い改めよ』と言われたとき、それは、私たちの全生涯が日ごとの悔い改めであることを欲せられたのである。」私は「日ごとの」というこの小さな言葉が好きです。私たちの全生涯は、日ごとの悔い改め。毎日毎日、神様の前に新しい思いをもって悔い改めることから始まる。
主イエスさまに従いと願っています。しかし、失敗ばかりです。私のあり方は、全然ダメだと思います。そうとしか考えられない。何度主に従いたいと願ったことか。そして、何度それに挫折したことか。ところが、主イエスは、日ごとに悔い改めて新しく始める道をつくってくださいました。私たちが主の御前に悔い改めることから始めることを、主は喜んでくださいます。慰め深いことです。
主イエス・キリストは、十字架へ向かっていかれます。そのことをここではっきりとおっしゃいました。山で現れたモーセとエリヤが話していたことも、主イエスの最後についての話だったといいます。モーセとエリヤと言えば、律法と預言者の代表。旧約聖書が語ってきたことは、イエスの十字架のことだったのだ、ということではないでしょうか。この十字架のキリストが、私たちに言われます。「私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、私に従いなさい。」主が、私のための十字架を負ってくださいました。私の罪を負ってくださいました。私も、その主の跡についていくことを、主は望んでいてくださいます。全然ダメな私です。それでも主は招いてくださっている。ただその手にすがって、日々主イエス・キリストについていきたい。今日、改めてそのように願います。

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