2020年10月21日水曜日

2020年10月21日(ヨハネによる福音書3)

ヨハネによる福音書3
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
私と家族が今住まわせて頂いている教会堂の一階の壁に、以前、海外から来たゲストが描いたカリグラフィーがあります。今朝の聖書の御言葉を記したものです。神の、独り子をお与えになるほどの愛を告げるこの御言葉。これほど慰め深く、私たちに確かな平安を与える言葉は他にはありません。
少し前にこの聖書の御言葉を日曜日にご一緒に聞いたときに少しご紹介しましたが、ドイツに生きた牧師のディートリッヒ・ボンヘッファーが、この聖書の御言葉の「ほどに」という小さな言葉に注目しています。私たちは、この「ほどに」というところで神の愛を知るのであって、他の場所に探してはならないという主旨のことを言っています。どういうことか?私たちが知ることができる神の愛は、「独り子をお与えになったほど」の愛です。他の、主イエスと関係のない場所で神の愛を知るということではない、と言います。
神様が私を愛してくださっているのなら、こうであってほしい、こうであるはずだ、いろいろなかたちでそういった期待が私たちにはある。しかし、そういう自分の期待が満足されるということが神の愛のしるしなのではない。神の愛、それは、独り子を与えてくださるほどの愛。他のどこか関係のない、自分の欲望が満足されるということを神の愛のしるしだと考えてはならないのだと思います。もしも自分の願いが満たされることが神の愛のしるしなのだとしたら、神は私の願いが果たされるのための手段に過ぎなくなってしまうからです。
この神が与えてくださった独り子は、私たちのための光だと聖書は言います。この方を見上げれば、私たちは新しく生まれることができる。この方の光の中で、私たちは神の霊によって生まれたものとして生きることができる。聖書は、そのように私たちに起こる新しい現実を宣言します。
この方は、上から来られた方、地に属するのではなく天に属し、すべてのものの上におられる方。「御父は御子を愛して、その手にすべてを委ねられた。御子を信じる人は永遠の命を得る。」ここに、神の愛が示されています。神の愛は、私たちをも永遠の命に生かしてくださる愛なのです。
主イエス・キリストによって示された神の愛によって、今日この一日を生きるための平安があなたにありますように!

2024年4月20日の聖句

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