2020年10月20日火曜日

2020年10月20日(ヨハネによる福音書2)

ヨハネによる福音書2
「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」

これは、慰めに満ちた言葉です。主イエスの最初のしるしはガリラヤのカナでの結婚式のときに現されました。主イエスの栄光が、小さな結婚の祝いのときに現されたのです。それは、深い慰めに満ちた事実であるとわたしは思います。私たちが誰かと結婚をすることとか、新しい生活を始めること、あるいは日常の小さな営みを重ね、働き、生きていくこと。それは、神様からご覧になったら、どんなに小さなことであろうかと思います。この天と地と、そこにあるすべてのものをお造りになった方からご覧になったら、私という存在なんて、ちっぽけな砂粒のようなものです。しかし、主イエスはそんな小さな小さな営みにおいて、ご自身の最初の栄光を現してくださったのです。それは、なんと慰めに満ちたことでしょう!主イエス・キリストは私たちの小さな日常の営みを御心に留め、私たちの生活を神の御顔の光で照らしてくださるのです。
ここで主イエスがなさったしるしは、宴席で客に振る舞うためのぶどう酒を水から生み出した、というものでした。結婚式の準備は大変です。特に食事の準備は。貧しい新郎新婦の予算の問題だったのか、見込みよりも大勢の客が来たのか、宴会が盛り上がったのか・・・。いずれにしても、この若い夫婦にとっては大変な恥さらしの事件です。それを主イエスは召使い以外の誰にも知らせずに解決してくださいました。最初のしるしは、たった5つのパンと2匹の魚で5000人を養ったとか、湖の上を歩くとか、そういうことではなくて、言うなれば小さな奇跡です。しかし、優しさに満ちた出来事です。そういう方だからこそ、主イエスは悲しむ者に寄り添い、友なき者の友となり、貧しい者に神の国の福音を告げ知らせてくださったのではないでしょうか。
ヨハネによる福音書は、この奇跡を「しるし」と呼びます。しるしであるからには、この出来事が指し示している事柄があるはずです。それは、子なる神ご自身でいらっしゃる方が、私たちの日常の小さな営みに心を寄せ、私たちの小さな人生を愛し、砂粒よりも小さな私たちが一人も失われることをよしとはなさらないという事実です。今日も、あなたの一日の営みの中に主イエス・キリストが共にいてくださり、神の御顔の光に照らされ、祝福がありますように。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...